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こころのこと「いつでも問いが正しい、と思わないこと」
禅問答なるものがあると知った。
毎週聴いてる「笑い飯哲夫のサタデーナイト仏教」で。
気になって調べていましたら
「いつでも問いが正しいと思うな」
というニュアンスの禅問答を見つけた。
偉い人に難しい質問をされて、うーんと悩むのだけど
その質問は悩むに値しないと思った人が
逆にその質問のツボをついて偉い人が悩む
的な。
(適当なウェブサイトで読んだものを私なりに適当にまとめたので、原型をとどめていないほど適当だと思います)
これを知って、はっとしました。
私この悩み方をしがち。
上司・同僚の言うことを、うんと咀嚼しあげて悩み込んでこころを崩しがち。
他人が言うことはいつも正だと、前提をおいている。
もっとテキトーに。
もっとテキトーになりたい。
もっとテキトーになろうじゃないの。
もっとテキトーになったらよくなるのか?
もっとテキトーになったらよくなるのか?
なんて問いはそもそも正しいのか?
禅問答だなあ。
※写真は大分県臼杵市の臼杵石仏です(父方の実家のちかく)