【映画のある生活】宮崎駿ファン待望の新作に想いを寄せて

書きたいことを
繋ぎ合わせていったら
ありったけーのーゆーめをー♪
ひとつなぎの物語に
なったような
なってないような、
今回はそんな感じで書いてみた。

まぁ、ゆるっと読んでやって下さいな。

はじめに



宮崎駿監督最新作
来年夏に公開、ほう。

作ってるらしい噂は聞いてたけど
半信半疑で。
ほら、引退宣言も何度も撤回しているし…。

クリエイターを突き動かすモノ



彼は何かを呼び覚まされた時に
作品を作りたくなるというイメージがある。

みんな大好き「耳すま」の時は
監督はやらずに若者の恋愛映画を
脚本で参加する形で発表したけれども。

テレビ放送で制作された「海がきこえる」が
あってのものだと思っている。

「紅の豚」を作っていた頃で。
若手の制作チームにチャンスをと
作られたのが「海がきこえる」だ。

それに以前は盟友、高畑勲さんがいたからね。

高畑さんが作品を作れば
負けじと宮崎駿作品も作られて、という
互いに刺激し合うことが出来た。

まあ鈴木さんがうまく(?)映画を作るように
仕向けた面もあるだろうけども。

近年では息子の五朗さんがその位置にいた。

幼い頃はテレビ放送でのアニメを通してしか
親子のコミュニケーションが
取れなかったふたり。
息子の作品に対して
痛烈にダメ出しをし、認めず、
自分で作らないと、と戻ってきたのが
「風立ちぬ」であり、公開が2013年と
そんなに月日が過ぎたのかと驚いている。

4年後に引退撤回して制作していたわけで
何が彼を脅かし、創らなくてはと
アニメーションに向き合ったのか。

今を生きるために



今の時代に、今の子供たち若い人たちに。

タイトルからの想像でしかないけれど。
生きるとは何かを
思い切りぶつけてくるのだろう。

いわゆるジブリ作品として
知られている映画とは
つまりは宮崎駿監督作品、
あるいは彼が携わったもの、
というイメージだ。

ボクたちの世代は直撃だけれども。
観たことないっていう若い世代も
当たり前のようにいる。

「風立ちぬ」では、
人生において情熱を捧げられる
10年間を描いた。
それはこれまでで
最もスケールの長い話だった。
そこから現実世界でも
同じように10年が過ぎて
何を語るのだろうか
という楽しみがある。

ちょうど今日、
自分の人生をどういうスパンで
振り返っていくと見えてくることが
何かないだろうかと
考えを巡らせていた折。
この話題が目に止まった。

ジブリ作品も大好きで
たくさん語りたいテーマのひとつ。

キャラクターを作る


元々ボク自身、
何となく好きだったに過ぎなかった
ジブリ作品。

それがオタクと言えそうなくらいには
詳しくなって好きになった。

経緯はいずれ書くとして
以前にも触れたけど↓

好きだったことを
もう一度好きになってみよう、
というムーブメントの
ある種のきっかけをくれたひとつだろうな。

ルパン三世のテレビスペシャルを
片っ端から観たり。

007シリーズを
もう一度全部観たり。

浴びるように
好きなことを次々
好きなだけ体験していって

○○オタクです、という
キャラクターを
自分に作っていったのだ。

元々あった要素を
きちんと形にした、というかな。

後付け設定のような
キャラクター作りは

自分に必要だったと思っているし
元々持っていた
自分の中にあるモノを
考え直すこと
ひいては自分自身を
見つめ直すことだった。

かえって、
今は
「何となく」というのが
ちと不得手になりつつあるんだけどね。

自分とは何か。


「レ・ミゼラブル」にあるバルジャンの
『Who am I?』の問いかけ。
『24601』と受刑者番号で迫り続けた
ジャベール警部との宿命。

自分とは何か、
何者なのか。

ボクは特撮ヒーローが
大好きだ。

彼らは必ず名乗りをあげる。

怪人たちも
それを促している。

「貴様、一体何者だ?」

敵側は大体、自分たちの野望を
打ち砕こうとするヒーローに対して
こう言い放つが。

ヒーローにとっては先に触れた
バルジャンの問いかけにも通じている。

正義の味方だ、と
声高に雄々しく叫ぶ姿。

哀しみを乗り越えて
か弱き自分自身とも戦うために

立ち向かうための宣言なのだ。

仮面ライダー生誕50年を
記念して作られたBLACKの新作も話題だけど

原作のラストで光太郎は叫ぶ。

「俺は誰だ?」

石ノ森先生らしい問いかけ。

キカイダーの時も
「人間になれたピノキオは
本当に幸せだったのだろうか?」と。

疑問は
思考を呼び覚ます。

大好きな野村克也さんは
「弱者は頭で考えろ、
弱者の戦略だ。」とよく語っていた。

長年、自分自身を
考え続けてきた中で

こうして日記を書いたり
ブログを書いたり

何かを書いて物事を考え続けてきた。

次第に口癖の変化が出てきた。

初めは
「分からない」だった。
少し前は
「とりあえず」と状況を打破しようと
していたのだろう。
今は「だから」と理由付けて考えている。

広い宇宙の片隅に。
空っぽの頭であーだこーだと
考えて夢詰め込めては
何とか生きてるけども。

言葉を使って考える。
語ることで相手を知り
語ることで誰かに伝えられる。

「舟を編む」という作品がある。
辞書編集者の物語で
コミュニケーションを不得手としている
主人公が信念を持って奔走する。

言葉の海を渡る舟が辞書だ。
言葉を知り
彼方にいる相手へ
伝えていくことが出来る。

まあざっくりとそんな話なのだが。

辞書作りも
気の遠くなるような長い歳月をかけて
世に送り出される。

クリエイティブな人たちも
自身の生涯を通じて得たモノを
ボクたちの元へ届けてくれる。

おわりに


きっかけは
何となくでいい。

何となくを大切にして

いつかきっと
何となくが
育っていった先に

自分の中で
頼もしい柱に変わって
支えてくれるだろう。

家族や友人
仲間たち

趣味

何でもいい

かけがえのないものが
溢れるこの宇宙に

今こうして
生きてることが

誰かの励みになることさえある。

これからも問い続けていたい。

自分は何者なのかと。

アンパンマンの歌にもあるでしょ。

何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて
そんなのはイヤだ

何がキミの幸せ
何をして喜ぶ
分からないままなんて
そんなのはイヤだ

アンパンマン、優しいなぁキミは。

大切なことは
すぐそばにある。

気付くことは
築くこと。

自分の好きなことを
これからも
いーっぱい
書いていきたいなぁなんて。

思うがままに
だらーっと書いてしまったけども
まあいいか。
後悔はしてない。
公開はするけどね。
駄洒落かーい。

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