
古地図からひろがる世界 ー南波松太郎・蒐集70年の軌跡ー
神戸市立博物館で開催されている特別展「古地図からひろがる世界―南波松太郎・蒐集70年の軌跡―」と同時開催の「日本銅版画 30の極み」を見に行きました。館の3階で古地図、2階で古地図と銅版画という展示でした。
南波松太郎(1894-1995)は大阪生まれで旧制中学校の同級生だった秋岡武次郎に誘われて古地図の蒐集をはじめたそうです。東京帝国大学を卒業し、三菱造船神戸造船所に勤め、その後は東京帝国大学教授、神戸商船大学教授などを歴任し専門は船舶工学で地理や歴史は専門ではないと本人も語っていたようですが、その古地図のコレクションは日本有数のものになったそうです。
神戸市立博物館が開館した当時に南波松太郎コレクションから4000点の寄贈があり、令和5年度にご遺族から新たに5328点の資料が寄贈され、今回の特別展は受贈記念の特別展で、出品作品のすべてが神戸市立博物館では初めて展示されるものでした。

上の写真の「東亜航海図」から展示が始まります。中世のイタリアやスペイン、ポルトガルなど地中海沿岸地域で使用された海図で、方位盤とそこから伸びる方位線が特徴です。アフリカ大陸から日本までが描かれています(日本列島は右上にあり、微妙な形です)。

享保13年(1728)以降
江戸幕府が大名たちに命じて各国の国絵図を作成し、それらを編纂したものを日本総図と言い、上の地図は8代将軍吉宗の命令で作られた享保日本総図の写本と見られるものだそうです。この享保の原図は確認されていないため、もしかすると今回展示の地図が享保の日本総図の謎を解明するきっかけになるかもしれないとのことです。ワクワクしますね。

文政13年に発生した文政京都地震のあとに、思齊堂主人の小島濤山が人々の不安を和らげるために著した書物だそうです。地震の説明や歴史的な災異の記録も含むもので、写真のページは「いせこよみ」=伊勢暦の日本図だそうですが、ちょっと何が書かれているか分かりません…。
この他にも寛政4年の雲仙岳の火山性地震の際の「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる災害の絵図があり、歴史を語る時に大きな災害は欠かせないことを感じさせられました。

日本図と青海波文、口縁には蝙蝠の吉祥文様の描かれた皿です。南波氏はこうした地図の描かれた皿を多数蒐集していたそうです。可愛い皿ですよね。
地図の描かれた小物シリーズは皿のほかに、盃、印籠(蒔絵で地図が描かれていました)がありました。

これはアイヌの風俗を描いたものです。これに似たようなものを東博で見たことがありますが、江戸時代の後期に日本の北方への関心が高まりアイヌの風俗を描いた図巻が多数作成されたそうです。
また、幕府が蝦夷地の調査を命じて作らせた「蝦夷拾遺」の展示もあり、松平定信が所蔵していた写本だったようです。←今の大河ドラマの登場人物の名前が出てくると嬉しくなりますね
そのほか、南波氏の専門である船舶関係の(江戸時代の)資料があったり、和磁石や江戸時代の天文図、遠眼鏡などの展示もあって面白すぎて見入ってしまいました。
もう一つの特別展「日本銅版画30の極み」では、司馬江漢と亜欧堂田善、そしてそれ以降の安田雷洲の銅版画が多く展示されていました。

天明3年(1783) 紙本銅版筆彩
司馬江漢は私の中では「新しもの好き」な人で、上の作品も日本初のエッチングの作品なのだそうです。レンズと鏡を組み合わせた器具で鑑賞する「眼鏡絵」として作られたもので、左右反転になっています。

江戸時代、19世紀初期 紙本銅版筆彩
亜欧堂の作品の方が判が小さく、描かれているものも細かいです。
安田雷洲の描いたものの中には「武江地震」という弘化4年に信州で発生した地震を主題とした作品があり、崩壊する家屋や下敷きになる人々などが描かれていました(細かすぎて写真に上手に写りませんでした)。このあとに見たコレクションルームにも江戸の大火の絵図があったり、阪神・淡路大震災での博物館の被害関連の展示があったりもして、大震災から30年という節目の年なので意図的にそうした災害の記録を随所に展示していたのかなと思いました。
こちらの博物館では、春には南蛮美術の展示が、夏には銅鐸の展示が、そして秋には注目の大ゴッホ展があります。(大ゴッホ展を2回以上見ようと思っている方は、ミュージアムカードを購入しておくとお得だと思います)
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