生誕140年記念 石崎光瑤
京都文化博物館で開催されている「生誕140年記念 石崎光瑤」を見に行きました。石崎光瑤(1884〜1947)は富山県生まれの日本画家で、京都で竹内栖鳳に入門して学びました。
実は去年の今頃、富山県の高岡市美術館で石崎光瑤と篁牛人の2人の画家をピックアップした「ヘテロジニアスな世界」という展覧会があり、篁牛人の方を見たくて足を運び、そこで石崎光瑤という画家を知りました。篁牛人は水墨画、石崎は琳派の流れを汲む煌びやかな画風の日本画。まったく画風の違う富山県出身の画家2人の作品を並行して見ていくという、面白い展覧会でしたので図録も購入したんですよね。
今回は全国初の石崎光瑤の大規模な回顧展ということで、以前見たものよりもたくさんの作品を見られると思い、とても楽しみにしていました。
上の写真を見ると、石崎光瑤の格好は一体なんだ?と思いますよね。彼は登山が好きで、地元の立山はもちろんのこと、日本山岳会の草創期に会員となり、国内最難関の岩峰といわれる剱岳に挑み、民間人として初の登頂記録を打ち立てたそうです。
登山の経験は本業の画業にも生きていて、上の写真のような山の写生、動植物のスケッチがたくさん残っています。
また、彼は大正5年からインドに渡り、ヒマラヤ登山に挑戦しています。標高3966メートルのマハデュム峰に日本人初となる登頂に成功したそうです。画家としてだけではなく、登山についても趣味の範囲を超えた活躍をしていたことに驚きます。そして、このような大きな登山の挑戦をした後に、画家として大きな仕事をしているという特徴もあります。
インドから帰国した石崎は《熱国妍春》、《燦雨》を官展に発表して連続特選となりました。インド行きの前後で、明らかに色彩が変わったことが分かります。南国の花鳥が美しい色彩で描かれています。
石崎は早い時期から若冲を評価し、研究をしていました。大正末期に若冲の代表作《仙人掌群鶏図襖》(大阪・西福寺蔵・重要文化財)を発見し、世に紹介したという実績もあります。展覧会では、若冲の模写の展示もありました。確かに花鳥の描き方に若冲の影響を感じる部分があると思います。
展覧会は博物館の3階と4階の会場を使っていますが、4階の会場に入口があり、4階でだけ写真の撮影がOKでした。
私が気に入ったのは上の《白孔雀》です。深い緑色と、白い孔雀が大きく広げた羽根が美しくて心に残りました。こちらの作品は大阪中之島美術館の所蔵品だそうで、そのことにも少し驚きました。
こういうもふもふのウサギを見ると、やっぱり竹内栖鳳の弟子だったんだと思えますね。昭和に入ってからの作品は、余白を広くとったモダンな構図のものが多かったです。
ショップには展覧会グッズが多数並んでいて、トートバッグやハンカチなどもあり、やはり大きくて力の入った企画だったんだと感じました。私はポストカード5枚とビニールポーチのセット(ポストカードは自分で好きに選べる)を購入しました。
2階は総合展示室で、京都の歴史を俯瞰できる常設展示を通り抜けたところに小さい企画展示があって、現在は「京都府コレクションにみる刺繍の世界」、「陽明文庫の名宝14 ―御堂関白記と源氏物語」、「池大雅展 山水颯爽」が行われています。国宝「御堂関白記」は、大河ドラマに合わせて中宮彰子が敦良親王を出産したあとの行事が書かれた部分が展示されています。また、重文の「源氏物語」(陽明文庫本)もありました。必見です。