ハニワと土偶の近代
東京遠征2日目は午前中に三井記念美術館へ行き、特別展「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」を鑑賞しました。こちらの展覧会は京都の龍谷ミュージアムで開催されたものの巡回展でもあり、うっかり行きそびれてしまったものでしたのでラッキーと思いながら見に行きました。
21世紀に入り、タリバンによって破壊されたバーミヤンの壁画と大仏。1960年代~70年代に調査に入った日本の大学のスケッチや資料によって、今回あらたに壁画の描き起こし図が完成し、それの初公開ということでした。
この世界に平和が訪れ、貴重な歴史史料や文化のしるしが破壊されることなく後世へと受け継がれるよう、心から願います。
さて、午後からは東京国立近代美術館です。「ハニワと土偶の近代」を見に行きました。初日は東博の「はにわ」で、2日目はMOMATの「ハニワ」なのですが、趣はかなり異なります。
東博は博物館ですので、埴輪の作られた時代や地域ごとの用途や形状を整理し、作られた当時の状況を再現して私たちに見せてくれる展覧会でした。こちらのMOMATは近代美術館ですから、埴輪や土偶という私たちの遠い先祖の作った遺物が発掘され、それらが近代の美術に及ぼした影響を捉えるという切り口です。
古物を蒐集し愛好する「好古家」は江戸時代から存在しましたが、明治以降に西洋から「考古学」がもたらされました。好古、考古、そして美術。発掘された「遺物」を描き手がどのようなまなざしを向けていたのか、遺物とともに何を描いたのかという序章では、上の蓑虫山人の作品が面白かったです。彼が実際に集めた土器や土偶などを文人画風にまとめた想像図だそうです。学会に発掘報告もしていた人で、その一方で趣味人としてこのような図も描いたという面白い人です。
近代国家の形成において、埴輪は「万世一系」の歴史の象徴になっていきます。出土したものが帝室博物館に選抜収集されるようになると、歴史画家たちの日本神話イメージ創出を助けるようになりました。
1940年目前の皇紀2600年の奉祝ムードが高まる頃、日中戦争が開戦し、「日本人の心」に源流を求める動きが高まり、単純素朴なハニワの顔が「日本人の理想」として、戦意高揚や軍国教育にも使役されていきました。(無表情で目に光を宿さず、敵地に突っ込む特攻の顔を埴輪に象徴させたりもしていて、それはとても恐ろしいと思いました)
上の「玉」もそのような時代に制作されたもので、建国神話に登場する玉依姫を想起される標題です。
西洋のキュビスムの影響が日本に及んできた時に、そこにハニワが登場します。円筒形がキュビスムのそれとの共通性があり、モチーフとして使われやすかったかもしれません。また、戦後の復興にともない「日本的なるもの」や「伝統」への探求が盛んに行われ、発掘される土偶や埴輪の「美」がアーティストにより再発見されたりもしました。前衛芸術と並べられ、「前衛は昔から日本にはあった」という(ちょっと考えるとおかしげな)理屈が並べられたりもしました。
こちらの猪熊弦一郎も埴輪を絶賛していた人で、曰く、ハニワのシンプルな美には世界性があり、近代最高の美ということができ、未来の作品を見せつけられているような錯覚を抱くということです。すごいです。
岡本太郎も縄文の「発見」者として有名です。
最後のコーナーは大衆にまで浸透した埴輪や土偶のイメージがSFやオカルトと合流し、特撮や漫画のキャラクターとして量産されたという内容の展示でした。大魔神やはに丸が登場しました。そうそう、今回の音声ガイドは田中真弓さんが担当され、はに丸のコーナーもとても楽しめました。
特別展を見終えて、そのあとはコレクション展も堪能しました。相変わらずとても充実したコレクション展で、特別展と合わせて 4時間近くいたんじゃないかな…。
コレクションルームの6室「相手」がいる、というテーマで第二次世界大戦中に描かれた戦争画(戦意高揚に貢献する絵)を並べていました。戦争記録画の多くは敵の姿が不在で、主として戦地で戦う日本軍兵士が描かれることが多かったそうです。しかし、珍しいものとしては連合国の軍人の「敗北」の場面を描くものもありました。
ハニワや土偶もそうですが、私たち大衆に対して何らかのイメージを植え付ける時に映像が用いられることは多く、現代では動画を利用することが多いかなと思います(今回の総選挙でもつくづく感じます)。
そうしたことを考えさせられる機会になりました。