すべてが実験、すべてがリハビリ
リハビリがてら動けない間にすっかり枯れてしまった花を、大好きな可愛い可愛いダールベルグデージーに植え替える。
可愛いお花大好き。
「すべてがリハビリ」という考え方を死ぬまで(かはわからないけど)持ち続けたいと思った。
これまで怠惰で自信がないのを動きやすくするため「すべてが実験」と考えてきた。まだ本番ではない実験段階、失敗して当たり前の実験だから基本なんでもできる。もちろん「しない」という選択もいつでも可能だ。実験的に。
ここに「リハビリ」をくわえることで「する/しない理由」がもうひとつ増えてしつこい邪念が消え、さらに楽になれるんじゃないか。
歩くのも、仕事するのも、眠るのも、怠けるのも、食べるのも、話すのも、本を読むのも、映画をみるのも、笑うのも、怒るのも、すべてがリハビリ。
「生きる」という面倒な過程の中で何かを失い続け、乾燥ワカメみたいにパリパリに干からびてしまった僕たちは、混じりけのない自分自身に立ち返るため、実験とリハビリを繰り返し回復するのだ。
乾燥ワカメを水やお湯にひたしたら、元の生き生きとしたワカメに戻るように。
すべてが実験、すべてがリハビリ。