アサカツは、果たして本当の朝活なのか。
おはよう。
私は、朝活という言葉が嫌いです。
なぜなら、朝活という言葉を使って自己満足して終わってしまうことが怖いからです。
そして、朝活なんて言葉にしなくても、朝活している人たちに失礼な気がするからです。
なんて、ちょっと尖った表現をしてみたり。
個人的に、中学生くらいから朝の時間を阻害されることを嫌うようになりました。
というのも、みんなが起きている時間はみんなと一緒に過ごす。
放課後も、なんだかんだ色々な用事や習い事でゆっくりする時間が作れない。
それならば、みんなが活動していない朝に時間を作れば良いのだ。
という経緯で、朝に頭の整理をしたり、その日の流れを整理したり、ゆっくりと自分のペースで自分のために時間を費やします。
と、そんなこと言うと「早起きが得意な人だ」とか思われそうですが、(とっても)低血圧なおかげか小さい頃は朝が起きれなくて親に怒られていました。
そんな私でも朝一人で早い時間に起きられるようになったのは、学生の頃の朝の勉強時間だったり、朝6時出社のアルバイトの環境から来たものかなと思います。
ここ数年、バタバタと忙しない朝を過ごしていたので、静かな時間に縛られない朝を迎えるとそわそわするようにもなりました。
でも最近思ったことは、作業場や自分の時間をゆっくり過ごせる時間が家にあると、とても有意義な朝の時間が過ごせるのだな、ということです。
職場の近くに住む、もしくは家に職場を作る。
私は前者を好む人たちとは違う人種だなとどこかで思っていましたが、実は類友だったようです。
私はずっと後者を夢見ていたことを、思い出させてもらいました。
そんな贅沢言っていられるのも今のうち。
でも、今思い出せたからこそ、そういう生き方をしていかないと。
今日もいってらっしゃい
そして、おかえりなさい
文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。