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ゲームをやる熱が下がっている気がする話
最近、ゲームをやる体力が減っていると実感しています。
私は子供のころからインドア派で、ゲーム大好きっ子でした。
小学生の頃はポケモンをリセットしながら何周もやる日々。
中学生になれば、モンハンを友達と夢中でプレイし、大学生になってバイト代で最初に買ったのは親へのプレゼントでもなく、PlayStation4でした。
褒められるような人間ではありませんが、それが私でした。
大学生になり時間をある程度自由にコントロールできるようになると、もうおしまいです。
徹夜で友達とゲームするのはザラ、RPGの発売日に徹夜して最速クリアを目指し、翌日はグロッキー状態で過ごすこともありました。
そんな私が、社会人になってゲームに費やす情熱が少しずつ下がっている気がします。
時間が減っただけではない?
もちろん、単純にゲームに使える時間そのものが減ったというのは大きな要因です。
大学生の頃のように「今日、何をしよう?」と考えられる自由な日々は、9時5時の仕事中心の生活に変わりました。
さらに、歳を重ねるにつれて、徹夜してでも遊ぶ体力は当然のようになくなりました。残酷ですね。
ただ、どうもそれだけではない感覚があります。
ゲームをする時間が減るだけなら、「時間さえできればまた遊べる」と思えるはずなのですが、1つのゲームを最後までやりきること自体、何だかハードルが高く感じるのです。
趣味が増えたという変化
考えられる原因の一つとして、趣味が増えたことが挙げられるかもしれません。
最近ではサイクリングや登山を楽しむようになり、休日には山道を歩いたり、自転車で遠くの景色を眺めに行ったりすることが増えました。
身体を動かす趣味はリフレッシュ効果も高く、自然と触れ合うことで新しい発見も多いです。
ただ、それでもゲームは私にとって「特別なもの」だったはずです。
ゲームをやらない週末が増えると、どこか心の中に「このまま情熱が薄れてしまうのではないか」という漠然とした不安があります。
ゲームへの情熱が薄れることは悪いこと?
ゲームは私にとって、単なる娯楽ではありませんでした。
子供の頃は友達と夢中で遊び、高校生の時は勉強の合間の癒しであり、大学生の時には世界中の人たちと繋がる手段にもなりました。
だからこそ、ゲームに対する情熱が薄れていく自分に寂しさを覚えます。
でも、これは「悪いこと」なのでしょうか?
人間の趣味や興味は変化していくものです。ゲームへの情熱が薄れているわけではなく、他の楽しみが増えて「分散」しているだけなのかもしれません。
むしろ、子供の頃から変わらず続けてきたゲームという趣味があったからこそ、新しい趣味にも積極的に取り組めているのではないか、と考えることもできます。
それでも、またゲームがやりたくなる日が来る
これからもゲームをやる時間は減るかもしれません。
けれど、ふとした瞬間にまたゲームを手に取って、あの頃の情熱を思い出す日が来るような気もしています。
今は少し距離を置いているだけで、ゲームという趣味そのものが私からなくなるわけではない、と信じています。
モンハンの新作が2月に出ます。また友人と一狩り行くのは確定です。ポケモンの新作が出たら、また徹夜して最速クリアを目指しているかもしれませんね(笑)。
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