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#11 中里 哲也さん 社会福祉士, 精神保健福祉士, 認定社会福祉士制度登録スーパーバイザー
大学で福祉を学び、医療ソーシャルワーカーを経験後、現在は大学教員として教育に携わりながらNPO法人を立ち上げ「フリースクールHIRO」を開設、コミュニティソーシャルワークの実践を行っている中里さん。医療、教育、地域とキャリアを広げられている中里さんのお話を伺いました。
アメリカでなりたいランキングに入っていた「ソーシャルワーカー」という職業の可能性
私自身が小学校2年生の交通事故で医療関係の方のお世話になった助けてもらった経験があり、進路選択の時になんとなく「医療」にかかわる職業が思い浮かんでいました。
模索するうちに、アメリカで「ソーシャルワーカー」という仕事が、政治にも医療にも、様々なところで関連している、人を助けられる職業として認知されていることを知り、大学で社会福祉学・ソーシャルワーカーってどんな職業なのかの勉強をはじめました。
転機になったのは、足に障害があって長野県出身だけどスキーをしたことがないというクラスメイトの「この4年間でスキーがしてみたい」という言葉がきっかけで経験した出来事です。
障害があってスキーをすることは医者も止めているし、私も「そんなことは無理だろうなぁ」と思って話を聴いてました。でも、ソーシャルワークを教えてくれていたアメリカで働いた経験のある先生が、「みんなでやりましょう!」と言ったんですね。学生はみんな無理だろうと考えていたのをいとも簡単に「やろう!」と言ったことで「これは一体何なんだろう??」と興味を持ちました。実際にその先生と学生の10人くらいでアメリカコロラド州に行くことになったんです。
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コロラド州にウインターパークというスキー場があり、そのスキー場の中にNSCD(National Sports Center for the Disable)という場所があって、環境整備がされてあり、そこではどんな障害の方でも隔たりなく、健常者と同じようにみんなが一緒にレクリエーションを楽しんでいました。
「スキーがしてみたい」と言っていたクラスメイトも2日で滑れるようになって、「すごすぎる!」と思いました。その人にとって「できる環境」を準備したり、作っていったり、希望をきちんと可能にしていける社会資源を持っている、ということがワーカーの力なんだよと教えてもらいました。
その体験から、それまでは何かあった時に「無理!」と思っていたのが、「どうやったらできるか」がスタートに変わったんです。
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肥満外科立ち上げでの医療ソーシャルワークとキャリアの積み重ね
就職は、当時お世話になっている先生にこれから伸びていくのはどの分野ですか?と聴いたら、「児童か医療か障害」と言われたんですね。自分が興味を持ったきっかけも医療だったので、医療ソーシャルワーカーを目指すことにしました。
大学3年生の時、まだ当時は社会福祉の実習で医療機関は認められておらず、色んな医療機関に履歴書持って行ってボランティアで受け入れてもらいました。実習の延長だと考え、週3くらいガッツリ通って、結果4年生の12月にその病院から内定をもらいました。
介護保険の資料とか高額医療費の資料作成などもボランティアで経験させてもらっていました。新卒1年目時点で実務経験が1年以上キャリアがある、と自分で思っていました。正直、頭でっかちですぐ通用する、できる!と自分で思っちゃっているところがあったけどガツンとやられました(笑)
想いが強いあまりに、支援がしたい気持ちが前面に出すぎていて、上司からのスーパービジョンでのフィードバックで徐々に気づいていきました。まずは何故自分はできないんだろう?と気づくこと。それが一番ハードルが高くて、当時はスーパービジョン受けていても頭でっかちなところがありましたね。
先輩ソーシャルワーカーが2年目の方で、ちょっと悔しいのもあり(笑)。経験年数を超えて成長するにはどうしたらいいんだろう?と、経験年数は超えられないけど、経験値や自分自身での振り返りで成長して超えてやろうと思ってました。
実践では、肥満外科の治療の支援に携わってほしいと言われ、1年目の6月から携わることになり、丸2年経ったころ声をかけていただき、他の病院に転職することになりました。
転職後の職場は、肥満外科の病院の立ち上げで、支援体制を0から作っていきました。まず根本にあるのは環境設定。例えば、1人用のひじ掛けがある椅子でも何kgまでの人が座れるのか分かりやすく明示する。こうすることで患者さんが「これは使わない」「ここは座れるな」と自分で選ぶことができます。
そしてスタッフ教育。ソーシャルワーカーは自分1人だったので、他のスタッフさんにどういうかかわりが必要なのか、肥満の病態の理解などを院内研修で伝えていきました。
日常業務のケースワーク以外にも、患者会を作って意見交換できる場の設定や、クリスマスパーティーを開いてみんなで同じ量を食べられる喜びを共有できるような場を作ったりしました。「肥満」は当時まだまだ認知されておらず私費診療でしたが、これは病気なんだと保険診療になるように厚労省に提言していって、10年間くらいの活動で保険診療ができるようになりました。
14年その医療機関に勤めながら、様々な職能団体の研修等に参加して学びつつ、大学の非常勤講師をしたり、スーパーバイザーとして契約をさせてもらったりもしていました。
今思えば、ソーシャルワーカーになってから毎年学会発表する、研修講師の依頼があったら受ける、自分からも売り込みに行く、というのは当たり前に沢山していました。それが当たり前の環境だったんです。
そんな活動をしていたので、ソーシャルワーカーとして働く選択肢はまだまだあると感じていました。一方で、結婚し、子どもも生まれていたので、お金についても学ぶ必要があるなと思い、収入の生み出し方の勉強もしました。
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医療×教育×地域 これまでのキャリアが繋がったソーシャルアクション
医療分野でのソーシャルワーカーとして考えることもあり、ソーシャルワーカーの育成をしながら実践に携わる方法がないかと考え、大学の教員に転職しました。元々高校の福祉の教員免許をとっていて、教育に携わることもやりたいことの1つ。今大学教員6年目ですが、やっていることは病院時代と変わらなくて、日々、学生に対してソーシャルワークしている感じです。
大学教員として働く中で、より自分でもっとソーシャルワークができる選択肢はないだろうか?と考え始めました。これまでの自分自身のキャリアを考えた時に、どれが生きるだろう??と考えていました。ソーシャルワークをやっていた自負はある、研修の講師もやってきた…医療、教育…としばらく考えていました。
そんな中、子どもが「起立性調節障害」と診断されます。これまで医療に携わってきたのに、初めて耳にする病名。頭痛、腹痛、めまい、朝が起きれないなどの症状があり、中学生の10~20%に起こると言われていて、クラスに必ず1人はいる計算です。朝起きれず、怠けてるでしょ、などと言われてしまい、ますます状態が悪くなり不登校になりやすい障害です。
起立性調節障害の診断及び治療方法を担当医と相談したり、自分で治療ガイドラインを調べたりしていたところ、治療の多くは環境調整であって、医師が出来ることって少ないということに気付きました。
そして、なぜソーシャルワーカーはこの領域に関わっていないのだろう…本来であれば関わっていていいはず!と考えて調査しましたが、結果、専門的に関わっている人は見つかりませんでした。
自分の子どものことでもあり、専門の学会に参加したり、親の会に参加したりする中で、自分でもどうにか関わりたいという考えが芽生え、妻とも相談する中でフリースクールの設立を考え、受診のついでに先生に相談してみたら協力してもらえることになったんです。
色んな人に「こういう活動を考えているんだけど、一緒にやらない?」と助けを求めました。研修会講師の経験、多くの学会で知り合いを作らせていただいた経験など、色んな形で世界中の人たちと繋がっていることが自分の財産だなと実感しました。いい活動だね、と協力してもらうことができています。
子どもたちが地域を校庭として活用していける「コミュニティソーシャルワーク」
フリースクールは、ここだったら安心してこれる、という場所にしていきました。医療機関の先生方からアドバイス等をいただきながら、身体が自然に起きれる照明の明るさにしたり、体調が回復しやすい座る角度に調節できる椅子を準備しています。いつの間にか、これまでやってきた医療ソーシャルワーク、教育に携わってきたことなどが全部繋がりました。
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準備期間10ヶ月での「フリースクールHIRO」オープン。フリースクールは法人格が必須ではないのですが、NPO法人を設立しました。社会的な認知や信頼のことを考えてのことでしたが、社会的な責任を感じることもでき、法人化してよかったと思います。
今は、もうめっちゃ楽しいです。ソーシャルワークが「できているかどうか」は自分ではなくまわりの人に判断してもらうことだと思いますが、自分がやりたい形でソーシャルワークができる環境を作れている、そう思えています。
フリースクールでは地域の子どもたちが安心して学びたいことを学べる時間を作っていて、地域のさまざまな方にかかわってもらっています。子どもたちが地域を校庭として活用していける。学校や自宅以外に行ける場所がある、色んな所に居場所がある、そのうちの1つのハブだと思っています。
子供が見ている社会を明るくしたい。将来をつくるのは大人じゃない。子供たちがが支援される側から、積極的に地域に関わる立場になっていける環境づくりが大切。大人が社会を勝手に作るのはエゴで、大人ができるのはその環境設定だと思ってます。
そう思うと自分のためにもやっていますね。将来自分が亡くなる時にこういうやつだったなと言われたい言葉があって、「人のために尽くした人だったなぁ」「ソーシャルワークに真摯な人だったな」と言われたいんです。
ソーシャルワーク、楽しい仕事ですよ!自分のワクワクを仕事にできる。「こんな社会になったら絶対楽しいなと思う」、そんなことをイメージして考えながら、それを形にしていくっていうことを仕事にできる。そんな楽しい仕事だと思っています。