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絵本界を駆け抜けた人

その日、半袖のシャツでは少し肌寒さを感じながら、ウサギは図書館の赤ちゃんコーナーに腰をおろし、並んだ絵本をじっと見つめていた。ふと目に留まったのは、真っ赤なだるまの絵本だった。

鮮やかな赤が「ここにいるよ」と語りかけてくるようで、ウサギの心を強く引き寄せた。彼女は閲覧席に腰を下ろし、そっと絵本を開いた。図書館の穏やかな空気の中、ページをめくる音だけがかすかに響いていた。

「かがくいひろしさんの絵本だね」隣に座っていたカメがぽつりと呟いた。「天国でも絵本を描いているのかな…」その声には、どこか遠くを見つめるような切ない響きがあった。

二人はそれぞれの思いを抱えたまま、静かに八王子夢美術館の入口をくぐった。そこでは「かがくいひろし展」が、まるで時間を止めたかのように、ひっそりと開かれていた。

「だるまさんの絵本を好きになるのに、理由なんていらないわ。この柔らかいタッチの絵と、だるまさんの決めポーズは、誰が見てもきっと楽しいもの」

「かがくいさんが絵本作家としてデビューしたのは50歳のとき。それまでは特別支援学校のベテラン教師だった。教室で積み重ねた思いを、そのまま絵本に込めたんだろうね」

アイディアノート

「作家として活動していたのは、わずか四年間だけだったんだ。彗星のように絵本界を駆け抜けた人だったから、こんなにも未完成の作品が残っているんだよ。見てごらん」

未完「だるまさんが たべた」

「だから、未完成の絵本がこんなにあるのね」ウサギはラフ画の前で立ち止まった。そこには、生まれることのない絵本の卵たちが、そっと眠るように並んでいた。

未完「ぞうきんがけ と ぞうさんがけ」

「もっとたくさんの作品が見たかったわ…」ウサギの声には寂しさがにじんでいた。二人は未完の作品たちの前で、名残惜しそうにいつまでも立ち尽くしていた。

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