糸が紡ぐ母の記憶
その日、ウサギとカメは傘を寄せ合いながら雨の街を歩いていた。六本木ヒルズへと続く階段を登りきると、雨に濡れた巨大な蜘蛛が、まるで夢の中の一場面のように、静かに二人を見下ろしていた。
「今日は、この蜘蛛の秘密が解き明かされるのかしら?」ウサギの声には、抑えきれない期待が混ざっていた。
美術館に足を踏み入れると、すぐに巨大な蜘蛛が目に飛び込んできた。今にも動き出しそうなその姿は、まるでこちらに挑んでくるかのようだった。
「この作品には5本の糸が繋がっているけど、『5』という数字は家族の人数を表しているのね。ブルジョワが生まれ育った家族も、夫と築いた家族も、どちらも5人だったのよ」ウサギはキャプションを読み上げた。
「彼女は、母性をずっと大事なテーマにしていたんだね。母親と深い絆で結ばれていただけじゃなく、自分も三人の子供の母親だったから」カメは静かに言葉を繋いだ。
「その一方で、子どもの頃からずっと、父親との関係には悩んでいたんだ。彼女は愛情や友情に支えられながらも、いつもその裏切りを怖れていたんだね」
「なんだか寂しい場所ね。まるでお仕置き部屋みたい。巨大な防火扉の中に、一つだけ置かれた小さな椅子。ここは、彼女が苦しんでいた時の居場所だったのかしら」
「見て! 彼女のお母さんはタペストリーの修復を仕事にしていたんだって。いつも糸を扱っていたんだわ。それで母親から糸を、糸から蜘蛛を連想するようになったのね」ウサギは思わず声をあげた。
「作品に蜘蛛が出てくるのは、彼女にとって蜘蛛が母親の象徴だからなんだね」と、カメは静かにうなずいた。
「波乱万丈の人生を生き抜いたブルジョワは、一つの言葉を残したんだね」カメは目の前のタペストリーをじっと見つめた。
「お母さんの温もりが感じられるタペストリーに、刺繍で綴ったんだね。印象的な言葉だわ」ウサギはそっと言葉を続けた。