息抜きのカフェオレと音楽
先日、美容師さんと大学受験の話題になり、私の受験生時代のことを聞かれました。
え、もう何年前?17年くらい??と数え始めると、受験生だった頃の心情や生活なんかはすっかーり忘れてしまっていて、
あの頃は今が人生で一番大変って思っていたけど、今となっては自分の人生に100%の力を注げていたあの頃が懐かしくなったりもします。
自分で言うけど私も高校時代は勉強を頑張ってました…
少なくとも私にとっては、頑張らないと入学できない学校を志望校にしていました。
でも、なりたい職業だとか家庭の事情とかいろいろあって、どうしてもその大学に入りたかった。ギリギリまで合格圏内には入れなかったけど、諦めずに粘りました。
それでもよく思うのが、「学歴なんて」ということ。
私は出身大学名を答えただけで、少し偏見を持たれてしまうことがあるんだけれど、それが良くても悪くても、それが事実だから、本来はそれ以下でもそれ以上でもない。
けれどなんとなく、自分から進んで大学の話はしたくない自分もいる。自分を決めつけられるような気がして。
ただし、仕事を探すときは違った。特に、転職するときは、この「学歴」は大いに役に立ったし、大事な武器として使った。
私は研究職として働きたくてこの大学を選んだ。研究に力を入れている学校だから。事実、研究員として働いていると、同窓生は多い。そして、研究者向きというか、物事を深く考えたり、小さな変化を見逃さなかったり、そういう思考をする人も多いような気がする。
そんなわけで、まず書類で「あなたの会社で研究として働きたいです」の自己紹介をするとき、○○大学卒業という肩書きは、ほんの少しの信頼がある。
この人がどういう仕事をしそうなのか、どういう思想でこれまで生きてきたのか。ある特定の場所においては、これが「学歴」から想像できることは確かにある。
やりたい仕事が明確にあった私にとっては、学歴は大きな武器となり私の味方でいてくれた。
正直、受験生の間は孤独で不安でどうしようもないこともあったし、入学してからも授業や研究に食らいついていくことに必死で、メンタルやられたり生活が乱れたりもしていたから、大学生に戻りたいなんてことは1ミリもない(大学は遊んでたとか、楽だったとか、戻りたいと言っている人は多いけど、心から羨ましい。恨んではないよ)。
だけど、そんな思いをしても頑張ってなんとか入学して、卒業して、よかったよと、当時の自分には言ってやりたい。
あの頃は、未来の自分がハッピーでいることを想像するのが唯一の希望だった。時間に余裕ができたらこんなことがしたい、お金に余裕ができたらあれが欲しい、などと思っていた。
それが、一部であっても叶っているなら、頑張った甲斐があったねと、ようやく思えるようになった。
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受験を乗り越えたお供は、スティックタイプのカフェオレと、音楽だった。
カフェオレは、学校から帰るとお母さんが用意してくれたんだけど、粉が溶け切らずにお湯に浮いたまま、スプーンで混ぜてねーと出されるのが定番だった。
飲んでも少し粉っぽくて、コーヒーの苦味と香りが少しして、甘くてホッとする飲み物で、よーし勉強するぞという気合いというよりは、力が抜けてやる気が満たされていくような静かなエネルギー源だった。
ちなみに今でもスティックタイプのカフェオレが本当に好きで、毎日のように仕事場で飲んでいますが、今のカフェオレは全然粉が残りません。スプーンいらない。技術の進歩かなあ、などと思いながら、サッと溶ける粉を眺めるのも、あつあつをふーふーしながら香りをかいだり甘くて苦い液体をすするのも、最高の癒しの瞬間です。前にも書いたかもしれないけど私はカフェオレのような人間になりたいのです。
それから、あの頃はポータブルCD?MD!?で、音楽を聴いていました。
頭の中が不安や心配で支配され、勉強に身が入らないとき。たしかよく聴いていたのはコブクロだったんじゃないかなあと思うけど、聴きながら勉強を始めて、少しすると音楽が邪魔になってくる(ゾーンに入る感じ)ので、そのタイミングで音楽は切る。
集中するまで伴走してくれるような、気持ちをコントロールしてくれるような、そんな相棒でした。
懐かしい。この作戦も今でもやってるかも。
受験勉強で自分と向き合った経験は、今の自分の原点かもしれないなあと思います。自分の癖や、使い方を知った経験。
点数だけじゃなく、いろんなものを得られた。
時間が経ったからこそ思い出せることもありますね。色褪せた記憶に新しく色を塗り直しているのかも。多少都合の良い解釈であっても、今とこれからの自分がハッピーになれるのならそれでもいいかな。