エラス=カサドのブルックナー 交響曲第4番
2024年にリリースされたパブロ・エラス=カサドのブルックナーを聴いた。使用されている版はノヴァーク版第2稿。
演奏をするアニマ・エテルナという団体は、指揮者のヨス・ファン・インマゼールが1985年にベルギーで創設した古楽演奏団体。そのためブルックナーが当時生きた時代の楽器 (ピリオド楽器)を用いたHIP (歴史的な知識に基づく演奏法、および運動)に分類される。
HIPについては前回アップした抄説「HIP論」を参照されたい。
なおアニマ・エテルナは創設者たるインマゼールが楽団との関係不和によって追放され、その後任としてエラス=カサドが就任した経緯があるため、いわばこのアルバムはHIPによるブルックナーであると同時にエラス=カサドのアニマ・エテルナとのデビュー盤とも言える。
作品について
アントン・ブルックナーの交響曲第4番は、彼の作品の中でも最も高く評価された作品の一つとして知られている。交響曲第5番と交響曲第6番、およびその他の作品を除いてブルックナーの交響曲は基本的に何度も書き直しを施される傾向がある。
交響曲第4番も例に漏れず、どころかこのブルックナーによる改訂癖の中でも最も手垢を付け替えられた作品の一つでもある。
最初に作曲されたのは1874年、ブルックナーが50歳の時に当たる。元々遅咲きの作家として知られていたブルックナーであるけれど、それでさえ最終的に最初の成功となる作品が交響曲第7番 (1883)であることを思うと、まだまだ彼が大成を見るのはしばらく先のことでもある。
とはいえ1875年に上演された交響曲第4番の初演はまずまずの成功、というより好評を博して、その後の制作のための良いモチベーションになったことは想像に難くない。むしろこの「まずまずな好評」というのが嫌な引っかかり方をしてその後の改訂に異常な執着を見せる一要素になったのではとも推察できる。
ともあれ出来立て時点でのこの作品は「1874年稿」と呼ばれている。
1874年稿の完成からしばらくの間を置いた1877年には通称「第一次改訂」と呼ばれる彼のそれまでの交響曲の全面的な書き直しが施される。ほとんどは1878年に書き上げたものの第4楽章にはいくらか時間をかけて1880年にこれを完成させた。そのためこの第一次改訂で書き直された交響曲第4番は「1880年稿」または「1878/1880年稿」と称される。
また1886年のニューヨーク初演に合わせてさらに細かく改訂を施したものもあり、これは1880年稿をベースとしていることから、前述のものを「1880年第1稿」、これを「1880年第2稿」と呼び分ける場合がある。
エラス=カサドとアニマ・エテルナが選択したのはこの版である。
またさらにややこしいことにブルックナーが監修者となってその弟子たち (主にフランツ・レーヴェとヨーゼフ・シャルク)を中心にさらにさらに改訂を施した通称「1880年第3稿」というものがある。また第2稿および第3稿を含むこの1886年からの一連の改訂の連続は交響曲第3番と交響曲第8番、交響曲第1番へと波及していくことから「第二次改訂」などとも称されたりする。
いずれにしてもブルックナーという男は、言ってしまえば、良い意味でも悪い意味でも優柔不断な性格があったのでしょう。特に演奏会のプロモーターや出版社、弟子、何より自分自身から指摘される多くの「アドバイス」に対してあまりにも真摯に受け止め過ぎてしまっているきらいがある。最もそれこそが彼の人間的な魅力だったのかもしれないけれど。
版について
一方でこの版問題をさらにややこしくしているのがロベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークによる楽譜出版上の「校正」だ。
兎にも角にも上述のような経緯から多くの他人の意見に対してあまりにもそのままに受け止めていたブルックナーであるがゆえに、一部のスケッチについてはむしろ弟子が代筆していたような場合さえどうやらあるようだ。
このウルトラややこしい背景を背に後世の研究者たちは頭を抱えながらブルックナーの真意たる、ファースト・オリジンたる交響曲像とはどうだったのだろうという疑問に挑まざりを得なかったようだ。
そのためロベルト・ハースを主導とした国際ブルックナー協会が1929年から1945年にかけてまとめた交響曲全集の出版は、こうした弟子たちの加筆をなるべく省いた「原典版」(Original Version)という表記が用いられたりもした。
ハース版の最たる特徴は「ブルックナー自身が認めたであろう弟子たちによる加筆修正は基本的に認める」という点にある。一方で草稿の細やかなところで不明確な点に際してハースは自ら筆を取ってこれを補筆していたという疑惑があった。
これを後述するものと対比して「第1次全集版」または「ハース版」という。
一方でハースが活動した時代がナチス・ドイツの政権下であったことや、ハース自身もナチスとの関係を持っていたことなどから戦後、ハースは国際ブルックナー協会から失脚される憂き目に遭う。
ハースに変わってその役割を請け負ったのがレオポルド・ノヴァークで、ハースが築き上げた遺産を土台としつつ、ハース版の問題点を批判し、新たな全集版の出版を開始する。
これを「第2次全集版」、または「ノヴァーク版」という。
ノヴァーク版ではハース版で嫌疑がかけられていたハースによる補筆修正を明らかにしてより科学的な手法による校訂を売り文句としていた。実際、各交響曲、各稿に対してそれぞれのバージョンの違いを明らかにしてその作品から派生する稿の違いをより可視化させようとした。
細かなハース版とノヴァーク版との違いについては割愛するにしても一部楽器の演奏パートなどが決定的に異なっている作品 (例えば交響曲第7番第2楽章におけるシンバル)もあるので、やっぱりその辺の違いというのは実際大きい。
今日のブルックナー演奏での版選択に際しては、少なくともここ30年ほどのスパンで見てもノヴァーク版の選択率が非常に高い。ハース版の使用というのはノヴァーク版成立の経緯もあってどこか嫌厭されているきらいもあるし、特にここ15年程に際しては、ノヴァーク版やハース版でもない、ブルックナーの弟子たちによる版 (特に交響曲第5番のシャルク版)など、今までハース版の成立以来、日の目を見ていなかった版を選択する演奏も増えている。
演奏について
HIPによるブルックナーというと、その草分けとしてエリアフ・インバルとフランクフルト放送交響楽団が1982年に録音しTELDEC (現ワーナー・クラシックス)からリリースしたものをまず考えなければいけない。版はノヴァーク版1874年稿。
もっともこの録音に関しては、当時の演奏法でというよりも、この作品の初稿 (1874年稿)にスポットしたという点で新しかった。そのため厳密にはHIPではなく、モダンな演奏であるけれど、少なくともブルックナーの交響曲における稿・版選択の重要性を認識させたという点で当時の演奏…ではなく作家の真意を手繰ろうという手法的な側面は実にHIP的だ。
HIPの手法によるブルックナーの交響曲第4番ではフィリップ・ヘレヴェッヘとシャンゼリゼ管弦楽団が2005年に録音してフランス・ハルモニア・ムンディからリリースしたものがある。版はノヴァーク版1880年稿。奇しくも同じ型の構えだ。
ヘレヴェッヘの演奏は全体的に特に木管楽器の響きが実にHIPらしい素朴さを感じさせてくれる。特に第2楽章が印象的で、これはただ単に叙情的な表現にヘレヴェッヘが秀でているというよりも、このピリオド楽器特有の響きがそう感じさせているように思える。事実、第3楽章のホルンのコラールから始まるスケルツォは、躍動感というよりも音の柔らかさや緩やかさを感じさせる場面が多い。
その点、エラス=カサドの場合は音のダイナミクスの制御に実に長けたアプローチをしていることから聴いていて大変躍動感に満ちており、若々しく瑞々しさを感じさせてくれる。
もっともレコーディングの上手さがそう聴こえさせてくれているだけのように感じなくもないけれど、明らかにヘレヴェッヘの録音よりも解釈や演奏技法が進歩発展している印象を強く感じさせてくれる。
特に金管楽器が良い。これはレコーディング云々やHIPの解釈や研究発達云々以前にシンプルに奏者たちの質が高い。
特にブルックナーの交響曲において金管楽器は大変重要な役割を負っている場合が多い。何せトリオに次ぐトリオ、コラールに次ぐコラールなんていうケースがほとんど全ての交響曲で織り込まれているわけだし、しかもそれがホルンパートのみならず、トロンボーン、テューバ、あるいは持ち替えで登場するワーグナー・テューバ等々による金管アンサンブル壮麗な音の殿堂を一息に築き上げようとするのだから、これは元々オルガン弾きでもあったブルックナーらしい書法だとも言える。
そういう意味では金管楽器がべらぼうに上手いオーケストラによるブルックナーというのは、大概良いものが多い。何せそれがブルックナーの交響曲における数ある本質のうちの一つでもあるのだから。
……もっともそれに対していつも不満そうな顔をしているファゴットパートのことは、まあ見て見ぬふりをするべきなのでしょう。
余談ながらHIP演奏の代表でもあるフランソワ=グザヴィエ・ロトに関しては、確かにブルックナーの交響曲第4番を演奏してはいるものの、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との録音に際しては特にオリジナル楽器の使用やHIPによる演奏である旨など明記もなかったことから、特に今回触れることはしなかった。一方で使用している版がノヴァーク版1871年稿であることから、エリアフ・インバルとの比較はするべきでしょうね。