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優等生ってどうなのかしらん。

こんにちは、苑森です。
私は小中学校共に公立なのですが、その中で思ったことをふと書いてみようかなーと思った次第です。

小中学校の時(おそらく公立の場合)って、誰かがなにがしかの代表で選ばれることが結構ありますよね。
たとえば、夏休みの自由研究。
たとえば、読書感想文や作文、弁論。
たとえば、図工で描いた絵や工作、版画。

絵や版画においていえば、それはクオリティで見られることがほとんどだと思うのでいいのですが、問題はその他。

小学校の時実際にあったことで、夏休みの自由研究をみんながやって持ってきて、飾られたりします。で、まあ色々見て見たりするわけです。
すると、工作などで凄いものを作っている人もいて「おーなんか面白いもん作ってるじゃん凄いなぁ」と思う一方で、やっぱり一番目立つのは模造紙モノなんですね。
で、それをさらに見てみると、
自由研究としてよくみんながやることをやっている」人と、
ちょっとマニアックなネタでやっている」人がいる。
夏休みの自由研究って、地域によっても違うのかもしれませんが、私の学校では自由研究(確か社会理科系のものに限られていた気はしますが)のコンクールみたいなのに代表で選ばれた人のものが応募されてたんですね。

しかし。

その応募作品は先生たちによって選ばれるんですが、そこで選ばれるのは、
自由研究としてよくみんながやることをやっている」人の作品なんです。
小学生ながらに見ていても、「なんかこういうのあるよなぁ」と思ったり、家族に選ばれた人とその内容の話をした後「調べたら同じようなのが出てきたよ」と言われたりすることもありました。

で、要は何が言いたいかというと、

型にはまった典型的なモノのほうが先生ウケが良い

ってことなんです。

また、中学になった時には、夏休みに各自弁論の作文を書いてくるという宿題があったんですね。
それで、夏休み明けに発表して、結果的に学年で代表が決められて、代表は全校生徒の前で発表するシステムで。
これまた自由研究と同じようなことが起きるんです。
発表を聞いていると、
「給食配膳の時、食べられる量に調節できるシステムにした方がいい」
「制服ではなく私服OKでもいいと思う」
などといった、日常の中の切実な願いを話している人も多くいました。
また、その構成なども、上のようなテーマでもよくできていて興味深い話をしている人もいるのです。

しかし。

代表で選ばれる人の内容は、
「環境問題について」
「平和について」
などなど。
しかも、もはや自分の意見は何処へ??というような内容の人が代表になることもありました。

この場合、要するに

真面目でお堅い感じの内容の人が選ばれる

と、なってしまうようなのです。

お堅いテーマを否定しているわけではありませんが、そもそも弁論のテーマは自由で、そのテーマが多少反社会的でも自分の意見があるならOKということになっているし、お堅いテーマではなくてもいい内容の人もいるのに、その中でもなおありがちで真面目なテーマの人だけが選ばれるのはどうなんだろうなと個人的に思ってしまい。

また、授業の際の振り返りなどでも、「こうこうこういうことからなんとかかんとかということを学びました」というような書き方が評価されたり、もうそもそも振り返りを書く欄に「これこれからどんなことを学びましたか?」と書かれていたりするのです。
やっぱりそうすると、個人的に「これこれやったんだからなんか学んだことありますよね」的な圧を感じてしまうし、そこで評価されるのはきっとこれまた真面目なことを書いた人なんですね。


ここまで書いてきたような人の傾向を一言でいえば、

先生ウケが良い作品を作る・書く人

つまり、

とてもまじめな作品を作る・書く優等生

となり、その「優等生」は先生からの評価も高くなるのです。

とはいえ私は実のところ、小学校の時は、先生ウケの良い作品が選ばれていても特に何も感じていませんでした。
でも、私がなんか嫌だなと気づきはじめたのは、中学になってからでした。
なぜかというと、

真面目なものはあまり作ろうと思えない

でも先生からの評価は欲しい(成績は高校入学にもかかわるから)

評価されやすい典型的なことを書くようになる

「自由ですよ」と言われても正解(先生ウケの良い答え)を探してしまう

”優等生の答え”に振り回されすぎて本当に自由になった時(進路選びなどの時)に自分の方向性を見失う

という、ものすごいサイクルが出来上がってしまうからです。

多様性の時代と言いながら、学校で先生から高く評価されるのはまじめで型にはまったもの。
高校ごろから急に自由になっても、その優等生だけが評価されやすい環境で少なくとも小学生を過ごしていては戸惑うところがあるような気がします。

私はもう少し、マニアックなことや才能を子供のころから評価してもらえる世間になった方がいいんじゃないかなぁと思うんですが、どうでしょう…?


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