人生、変えに行ってるやつを笑うな
SNSを賑わせる婚活ネタは尽きないが、2月にフジテレビで放映された「ザ・ノンフィクション」が盛り上がっている。
筆者はこの番組を観ていないので書けることは何も無いのだけれど、旧Twitter・Xのとあるポストに目に留まった。
「人生、変えにきている」
このワードは個人的に好きだ。
筆者自身も中学高校時代、太っていたことがコンプレックスだった。
“女にモテたい”という不純な、しかし当時の自分にとっては深刻な動機で人生を変えるべく25キロのダイエットを3年半かけて遂行した過去がある。
現在も、資産形成に本気で取り組んでいるが、まさに人生を、運命を、変えにいっている最中だ。
人の数だけ悩みや苦悩、苦境があると思う。誰しもが何かを抱え、今を生きている。
そんな中、現状を変えようと自分自身で決め、実際に行動する。
行動したからといって変わる保障はないという不確実性を抱いたまま、それでも前に進もうとする人間を笑う奴は醜い。
筆者も同感だ。
インターネットやSNSの発達は、明らかに何物でもない我々個人の心境や状況を見えやすくした側面があり、誰でも自由になんでも言えてしまう環境が人を傷付けやすく、また相手に届きやすくしてしまった。
進藤さんへ「きもい」などの感想を抱くのは自由だが、個人的にはインターネットではなく、自分の部屋で壁に向かって1人で勝手に呟いていてほしいと思う。
話を戻そう。
察するに進藤さんは生涯のパートナーを見つける為に、決して安くはない金額を支払い、結婚相談所に入会した。
そこで紹介された相手女性と交わすコミュニケーションの一部始終をテレビ番組を通じて一般視聴者に観られ「きもい」と馬鹿にされているという事だろう。
では、なぜアカの他人が、人生を変えようともがく人間を馬鹿にするのか。
筆者の推測では以下2パターンの人たちが割合多いのではないかと考える。
1:人生を変える覚悟で行動を起こしたことの無い人間
2:自分の傷を自分で舐めている人間
「人生を変える覚悟で行動を起こしたことの無い人間」とは、今この状況をどうにかして変えたいという境遇がこれまで無かったのかもしれないし、または恥をかくかもしれないこと、うまく行かないかもしれないことを受け入れられず行動を起こせなかったかもしれない。
どちらにせよ、人の痛みや他の誰かにとっての行動難易度が想像できないという想像力の欠如があるのではないか。
また自分では行動することを諦めた人間なので、他人が勇気を出して挑戦する姿に内心嫉妬する。
ここで前に進もうとする人間の不格好な様子を目にすると”ザマみろ”的な反応になるのではないだろうか。
「自分の傷を自分で舐めている人間」とは、属性の似た劣等感や悩み、焦り、トラウマを抱えており、自分より相対的に劣る人間を見つけては安心するような心情だと予想する。
所謂、「下を見て安心する」という人間だ。
どちらにせよ、共通することとしては”精神的に幼い”のだ。
補足をすると、”幼さ”が醜いというわけではない。
幼さを自認せずに、他人を笑う大人の姿が醜い。
そんな風に感じるのだ。
番組を観てなく、ましてや実際に会ったこともない進藤さん。
進藤さんには良きパートナーと巡り逢い、幸せに人生のコマを進めていってもらいたいものだ。
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