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統合失調症と労働の歓び

私は十代から統合失調症を患っていて、大学卒業後は「リハビリワーク」と捉えて、仕事を「心のリハビリ」の一環として続けて来た。現在私は四十三歳で三十四歳から介護士をしている。二十代は肉体労働をしていた。三十歳になると肉体労働を辞めていろいろな仕事を経験した。そして、上記のように三十四歳で介護士の仕事に就き現在に至る。今回は二十代の肉体労働の体験を振り返って見たい。

園芸用肥料の袋詰め

私は、大学卒業後、ハローワークを通して、園芸用肥料の袋詰めのパートに就いた。そこは田んぼの中に建てられた小さな工場こうばで四十五歳の親方がひとりいるだけだった。私は統合失調症を患っていたため、人とのお喋りの自信がなかった。親方とふたりきりだが、彼は必要以上のことをあまり喋らなかったので私には都合が良かった。この仕事については、『心のリハビリワークの実践~私の場合~』に詳しく書いてあるのでそちらを読んで欲しい。鶏糞の粉が舞い上がり工場中に広がるためマスクをしていたが、夏などは汗でマスクがひっ付き、呼吸ができないくらいになった。私は文字通り汗まみれ埃まみれになって働いたのである。時給八百円のパートだ。それを五年続けた。これは私にとって現在でも大変な誇りと自信になっている。

炭焼き

私は親方の紹介で、炭焼き職人の仕事を手伝った。これも袋詰めの仕事だ。籾殻燻炭もみがらくんたんという、お米の殻を炭にしたものを袋に詰めた。これは園芸用肥料袋詰めの仕事のない日曜日にやったが、私には忘れられない思い出になっている。炭焼き職人は、お昼に七論でイカを焼いてくれたり、サンマを焼いてくれたりした。特にイカの味は忘れない。内臓を取らずそのまま焼いたイカをぶつ切りにして食べた。炭の香りとイカのうま味でなんとも野性的な歓びだった。

お茶刈り

炭焼き職人の紹介で私はお茶刈りの手伝いをするようになった。一番茶のシーズン、五月の二週間程度を、四シーズン手伝った。一日一万円だったのが、二年目からは一日一万二千円になった。必要としてくれるというのは自信になり歓びとなった。
お茶刈り機というのは、お茶の畝を挟んで、ふたりが立ち、機械を持って、畝のお茶を刈っていく。畝の片側を刈り取り、往復することでその畝を全部刈ることになる。ふたりで呼吸を合わせるところが、心のリハビリとして良かった。もちろん、山の中のお茶畑の景色は私の心を癒してくれたと思う。しかし、癒されているだけではいけない。私は仕事をしているのだ。お茶というのは手摘みの場合、一芯二葉と言って、若い先端の黄緑色の芽とその下にある若葉二枚を摘み取る。しかし、お茶刈り機の場合、正確に一芯二葉を摘むことはできない。だから、コツとしては、刈り取った痕が若葉と古い葉の混じったような色になるように刈ることだ。もし、深く刈り過ぎると、アカボウと言って、茶色の枝が入り製品の質が落ちてしまう。逆に浅く刈り過ぎると、もったいない。だから、私はお茶刈り機を持って作業しているときは、畝の間を歩きながら、「浅過ぎず、深過ぎず」と心の中で呟いていた。私は統合失調症だったから、集中力がなく、お茶を刈りながらボーッとしてしまう傾向があった。そうなると失敗してしまう。だから、心の中で「浅過ぎず、深過ぎず」と呟いて緊張感を維持することにしていた。
毎朝、現場の茶畑に出ると、どの範囲をやるか、農家の主人から聞いた。「見えるところ全部だ」と言われると、私は畑を見渡した。広かった。しかし、仕事だから嫌とは言えない。少しずつ刈っていった。そして、一日が終わると、あの広かった茶畑が、若芽を刈り取られ色が変わっていた。それを見ると私は満足感を覚えた。
お茶刈りは、まず、農家の家に人足が集合し、軽トラック二台ワゴン車一台に機械や茶袋を積んで出発する。必ず休憩時間に飲むジュースを入れたクーラーボックスとお菓子を載せていった。休憩時間は茶畑の脇の地面に腰を下ろし、ジュースを飲んだりお菓子を食べたりした。私が手伝いを始めた頃のある休憩時間に農家の主人が訊いて来た。
「おまえは大学を出ているそうだが、何学部だ?」
「文学部です」
「文学部?小説家でも目指しているだか?」
「はい、いちおう」
そう言うと主人の顔がマジになった。
「そうか、じゃあ、本が出たらサインくれよ」
「もちろんです」
私は誰かに小説家を目指していることを告げたのはこれが初めてだった。私は笑われるのではないかと思っていたが、主人は私をバカにしたりしなかった。
その翌年、お茶摘み交流会というものに招待された。山の中に全国からお茶に興味のある方たちを招いて、お茶の手もみ体験や、そば打ち体験などをして、そのあと、食事をして、農業を語り合うのだ。主催者の農家の中に英語に堪能な若い女性がいて、そのため若い外国人も多くいた。宴会中に、参加者が自己紹介をする場があった。みんな農業を志す思いを語った。私は農業を志していないので、場違いな気がした。すると農家の主人が言った。
「おまえも自己紹介して来い」
「いえ、でも、僕は農業を志してないし」
「バカ者、小説家になるんだろ?それを言えばいいじゃないか。有言実行だ」
有言実行とはそういう使い方をするのだろうか、と私は首を傾げた。「言ったことは実現する」それが有言実行の意味だ。しかし、彼の言う意味は違った。「実現を誓うために言葉にする」かなりアクティブな解釈だ。私はみんなの前に立ち、大声で言った。
「僕は、現在、お茶刈りの手伝いをしています。将来は小説家になりたいと思っています」
宴会の場はすでに、同じ話題に花を咲かせるグループがあちこちに出来ていて、私の宣言を聞いているのはごく一部だった。しかし、大勢の場で夢を発表したのは人生で初めてだった。
こういう人間との出会いはお茶刈りをしていなかったらなかっただろう。いや、炭焼き職人の手伝いをしていなかったら、いや、ハローワークの紹介で園芸用肥料袋詰めの仕事をしていなかったら、こういう体験はできなかった。社会のどこかに飛び込めば、人脈で仕事を渡り歩ける。そう感じた。

造園工

また、炭焼き職人に造園の手伝いを紹介してもらった。造園というか植木屋で、最初は市の仕事だった。市役所の生け垣などを剪定していく仕事だった。私がしたのは植木職人たちの切り落とした枝などを拾って、トラックの荷台に積み込む仕事だった。かなりハードな仕事で、あまり長時間やっているとふらふらになってしまうくらいで、休憩時間に出た清涼飲料水が本当に美味しくて、命の水というような感じだった。一日一万円というのも魅力で私はこのときの親方にこれから継続して雇って欲しいと言った。すると簡単にOKサインが出た。
次の仕事は、ある会社の社長の新築の家の庭造りだった。
庭には大きな石を並べた。親方の敷地にある預かっているらしい大きな石をクレーンで吊るして、トラックに載せるのが最初の仕事だった。石の下にワイヤーを通すのが私の仕事だった。もちろん私はプロフェッショナルな修行を受けたわけではない素人だ。でも、親方は私を使ってくれた。石を並べる仕事は、芸術的な要素が強かった。親方がイメージする形に石を置くために私はスコップで地面を掘った。「もうちょっと、右を掘れ」とかいろいろ指示が出た。私は掘った。掘りながら思った。「アバウトな仕事だなぁ。でも、おもしれー」並べた石の向こう側は植木を植える場所だった。ようするに日本庭園だ。塚の上に大きな石を立てたり、松などの樹木を移植したり、今思えば、造園工の一番おいしいところを体験できたと思う。アバウトで芸術的だった。他の植木職人と、移植する植木をクレーンでトラックに釣り上げる際に、根っこの部分を土ごと掘るのだが、掘ったら土の付いた根を布で巻き、ひもで縛る、そのとき掛け声をかける。「せーの、よいしょ!」。こうやって誰かと呼吸を合わせて仕事をするのは、統合失調症の心のリハビリに非常にいいと思った。
いや、ここで、統合失調症の心のリハビリがどうとか言うことは、私の思い出としてはあまり適切ではない。

まとめ


私は当時病んでいたとはいえ、現在の私から二十代を振り返れば、病気だった思い出よりも、誰とどこで何をしたか、が思い出されるだけだ。そして、その仕事の苦しみ、歓びが思い出されるだけだ。苦しみも、「よくがんばった」という自信に繋がるところだけが残っている。あの工場で親方とふたりで働いた二十代の五年間は他の人の二十代と比べたら不幸かもしれない。私は友達もあまりいなかったし、恋人もいなかった。でも、現在、振り返って見ると、不幸であったとは思えない。ベストを尽くしたからだろう。
そう、私はベストを尽くした。もし、二十五歳のあのとき、ハローワークで職を探し、園芸用肥料袋詰めの仕事に飛び込まなかったら、炭焼きも、お茶刈りも、造園も私の思い出にはなかったろう。障害者として、就労支援施設で作業療法など受けて、就労支援の流れで障害者として、自立していったとしても、現在の私を支える屋台骨はできなかったのではないかと思う。もちろん、就労移行支援などを受けている人の人生を否定するわけではないが、私には私の二十代があって、それなりにユニークな青春だったと思う。
この文章を読んでいる統合失調症などで精神障害者となっている方に言いたいのだが、障害者だから障害者として支援を受ける道も道としては道だが、自分で開拓した道も、それなりに振り返ればユニークで面白い道となると思うので、そういう選択肢を持つのも悪くないですよと言いたい。
中学→高校→大学→会社→退職、このようなありきたりな人生は面白くないと思う。障害を持ち、ドロップアウトしたなら、自分なりのユニークな人生を歩めるチャンスだと思う。誰かが用意した道ではなく、自分が切り開いた道を生きたほうが価値があると思いませんか?

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