人生とは過去にあるものではない。未来に開かれたものだ。
先日、友人とふたりでラーメン屋に行った。私はそこのチャーハンが狙いで行った。友人がよく行く店らしく、彼は豚骨ラーメンの替え玉を三つ頼んでいた。替え玉は無料らしいが、限度があるだろう?と私は思っていたが、彼が太ろうが私にはどうでもよい。
ところで、私はこんな文章をなぜ書いているかというと、最近、ユーザー名を変えてからは、以前のように自分の病気のことを書くことを禁じていた、それなのに昨日と今日、病気のことを書いてしまった、やはり気持ちが過去に向かってしまった。
私は四十四歳独身だが、夢があって、小説家になりたいという夢だ。この替え玉三つの友人はその夢を後押ししてくれている、重要な存在だ。
小説家の夢というと、最近まで、成金的な夢を見ていた。ミリオンセラーになったら、ポルシェを買おう、そんな欲望に汚れていた。しかし、現在、「小説家になろう」に連載中の小説がなかなかヒットしない。私は世界一の小説家を目指しているが、「小説家になろう」でヒットしないようではダメだ、と思っている。どこに出しても多くの人が面白いと言ってくれる、そのようでなければならない。ただ、「小説家になろう」はオタクが読むサイトか?私はオタクにおもねりたくない。このサイトでは純文学の評価が非常に低い。私は人気の高いジャンルの冒険ファンタジーを書いている。そこに純文学性を織り交ぜているのだが、友人曰く「説教臭い」そうだ。いや、説教臭いと言われても困る。文学だからだ。私は冒険ファンタジーで面白くて深いものを書きたいのだ。その「深いもの」が説教臭いのか知らんが、それがなければ薄っぺらな作品になってしまう。シェイクスピアとかセルバンテスとかユゴーとか、みんな面白くて深いじゃないか。私はこの三人にも匹敵する小説家になりたい。うわー、こいつ、ほら吹きだー、と言われそうだが、こういう夢というか野心は中学生の頃から変わらずに貫いている。もう、ポルシェはどうでもいいが、この夢を追う限り、私の未来は限りなく開かれているように思う。
最近、シェイクスピアの『ハムレット』を読み返して、その面白さに唸らされた。そこにはたしかに「面白くて深い」があった。
私は時代を超えたい。
絶対に夢を諦めないだろう。