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【短編小説】俺の入生
山葉尼 輪太郎の蹴り上げたバイクのギアは抜けてしまい、アクセルを開けたバイクが間抜けな声で吠えた。
このバイクが自分と同い年であることを考えるとそれも仕方の無いことだ。
自分だってもう気合いだとか根性だとかで乗り切れる局面が減ってきている。
いや、局面と言うよりはその気合いや根性の最大値そのものが減ってきているのだろう、と輪太郎は思っていた。
だからギア抜けするバイクの様に上手くいかない日が段々と増えていく。ヘルメットの中で輪太郎のため息が密度を上げていく。
ギアを蹴り上げると、バイクは咳き込むように身を震わせた後に速度を上げて明け方の冷たいアスファルトの上を転がっていった。
「ナンバープレート、変える気になった?」
輪太郎マザーが訊く。
「そんなに気に食わない?」
輪太郎は理解できない。4142だから何だと言うんだろう?
輪太郎マザーは大袈裟なため息をついて見せてから
「良い死に、みたいで気持ち悪い」
と言った。
「馬鹿馬鹿しい、まるで競馬のサイン馬券みたいな事を言うなよ」
死ぬのは運が悪いからだ。また運転が下手くそだからだよ、と言いかけたのを輪太郎はどうにかインスタントコーヒーで飲み込んだ。
酸味の立った味を、輪太郎は昔から好いていなかった。
「まぁそう言うなよ、検討してみたって良いじゃないか」
それまで黙って聞いていた輪太郎ファザーが口を挟んだ。
輪太郎はソファに座ってテレビを眺めている輪太郎ファザーに目をやった。
もうじき人生が終わろうとしている輪太郎マザーと輪太郎ファザーは、最近こうやって良い親であろうとしている。
少なくとも輪太郎はそう感じている。
それは何かの償いなのか、それとも天国への近道なのかは分からない。
子どもを持つ気のない俺にはきっと理解できないことだ。
輪太郎は黙って手の中にあるコーヒーカップを見つめていた。
茶色と言うには暗く、だが漆黒と言うにはあまりにも薄いその液体はどんどん冷えていきながら昔の事を輪太郎に思い出させていた。
「あの子はきっと伸び伸びと好きに生きるんだろうな」
俺は言う事を聞いて良い子でいたが、それは駄目だったのか。
「マンションでも買って管理人をさせるしかないか」
曲がりなりにも就職したがおめでとうのひとつも聞いてないな。
「お前は何をしてるのが好きなんだ」
「お前はどうしたいんだ」
「お前には無理だ」
「お前はどう生きたいんだ」
「そんなに甘くない」
輪太郎は冷たくなったインスタントコーヒーを一気に飲み干した。
ケバだった酸味が喉に引っかかりながら落ちていく。
輪太郎マザーや輪太郎ファザーが言ったのは当たり前で普通のことだ。
別に恨むまでもないし根に持つ事でも無い。
生きていくのは簡単では無い。
ゲージュツ家だとかガ家だとかショーセツ家だとかになって生きるなんてのはおいそれと出来ることでは無い。
営業とかコネクションとか煮湯とか、考えただけでもウンザリする事の上にそう言う生活がある。
だから今、輪太郎はサラリーマンをしているしサラリーマンを辞める気は無い。
輪太郎マザーや輪太郎ファザーもそれについついては安心している。
しかし輪太郎の人生は輪太郎の人生なので、結局はどう生きてどう死ぬかと言うことやいつまで生きていつ生きるのを止めるかと言うのは輪太郎が決めることだ。
輪太郎マザーや輪太郎ファザーがなんて言おうと、バイクのナンバープレートを換えたりする気は無いし繁殖する気も無い。
いつまでも親子でしかいられない。
それもこれも輪太郎が繁殖をしないから悪いのだ。
いつまでもダラダラおめおめと生きている輪太郎の責任だし、輪太郎マザーや輪太郎ファザーを殺さない輪太郎の責任なのだ。
孫でもいれば親と子の距離は勝手に広がっていく。家族と言う単位はそうやって伸び縮みしながら繋がっていく。
だけど輪太郎はそこで終わる。
輪太郎が孤発的遺伝性難病の持ちであることは別に輪太郎マザーや輪太郎ファザーの責任では無い。
末代である事は輪太郎が決めたことだ。
「じゃあ、帰るわ」
輪太郎は立ち上がってプロテクタージャケットを着た。
輪太郎ファザーはテレビから目を離して輪太郎を見ると、様々な諦めにほんの少しの希望みたいなものを混ぜて何か挨拶みたいな事を言った。
何か言い続ける輪太郎マザーに手を振って、輪太郎はバイクに跨った。
なんだっていいや。
輪太郎はそう呟いて発進させたバイクの上で急にカーブを曲がりたくなくなってしまったので、アクセルを開き続けながらヘルメットの中で目を閉じた。
バイクのタンクにしがみつきながら、風圧で速度が上がっていくのを感じる。
胃の中からインスタントコーヒーの酸味が迫り上がる。
おやすみなさい。
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