Re: 【短編小説】劇団長殺し
世界はクソだ。
それは誰しもが認めるところだろう。だが小劇場の役者なんてのはそのクソの吹き溜まりだ。クソの煮凝りだ。
社会人経験も無けりゃニュースを見たこともない奴が薄っぺらな政治思想で世間を茶化し、経験も知識も無い役者がアニメで観たシーンを再現するだけの舞台。
何かにつけて飲みに行こうと言っては、大して安くも無けりゃ旨くもない店で理想論だけは大きく語る。
その日も座組みで知り合った壮年の男が酒の席で
「最近の若い奴は、無謀さみたいなものが足りない」
などと言って満足気に笑ったのが腹立たしかった。
それはどういう事かと訊けば
「なに、空き家に勝手に棲みついたりしてな、庭の手入れなんかをして、近所の畑を手伝って野菜を貰ったりだな、そういう若さ故に赦される無謀さが足りない」
などと言う。
牧歌的というか幻想的と言うか、恐らくは本人ですら実行していない誰かの体験談を得意気になって語っている。
深く舐った箸先は恐ろしく汚れていて、それを短く持って振り回している姿は美意識の欠片も感じられなかった。
しかし何より、それを周りの奴らが持ち上げるものだから壮年本人はますます良い気になって、ヒッピーだのラスタファリズムだのと縦横無尽に凧を飛ばしている。
どこへ行こうと言うのか。
俺は自分の中にボンヤリと金閣が浮かび上がるのを感じた。ゴテゴテとした金閣は、俺の闇にふわりと佇んでいる。
ならば。
俺は皿の上で乾いていく刺し盛だった魚の目を見ながら、遠慮の塊である最後の切り身を醤油にどぶりと漬けてから口に放り込んだ。
「じゃあ、ウチに来ますか」
俺は刺身を飲み込んでから言った。
顔を赤くして、俺たちは間違えただの君たちには間違えて欲しくないだのと演説を打っていた壮年の男はビタと動きを止めて、皿の上の魚と似た目で俺を見た。
「ウチ、だと」
俺はぐにぐにとした水っぽい刺身が胃の中で緩和していくのを感じながら頷き、わざとらしい果実味のある日本酒を流し込んだ。
喉に引っかかる具合が全体的な安っぽさを演出する。不味い酒だ。
俺は壮年の眉間に金閣を見ながら答えた。
「はい、ウチです」
座組みの面々が黙ってこちらを見ている。話の流れを掴みかねていた。
俺は水を飲んで喉を洗った。
「そう言えばスガさんってどこに住んでるんですか」
端の方で誰かが恐る恐る訊いた。
すると次々に
「聞いた事ないな、家の話」
「実家とか?」
「バイトも何してるか知らないし」
などと始めた。
勝手に想像して盛り上がり、どっと笑い声が起きた。
だが俺が黙っていると、すぐに冷静になってこちらを伺う様に見た。
本当に実家だったらどうしよう?
無職の子ども部屋おじさんだったら?
意外とマンションに一人暮らし?
実家の支援?
蔑みと希望と子ども部屋おじさんと言う圧倒的な現実に対する恐怖がマーブル模様に渦巻いている。
どいつもこいつも、眉間に金閣を浮かべている。
ゴテゴテと装飾された金閣。
下らない自尊心と見栄、虚栄心。理想の自分と池に映った実際の自分。
俺は手を振って笑う。
「まさか、一人暮らしだよ」
タワーマンションじゃないけどね、そこそこ広いんだぜ。
すると座組みの面々は安心した様に笑い、場の空気が弛緩していった。
同時にどんな部屋か──風呂無しトイレ共同、いやそれこそ無人の空き家?そもそも普段はなんの仕事をしてるんだ──などと耳打ちをしあって勘ぐりをかき混ぜあっていた。
埒があかないと思ったのだろう。
「それで、どこに住んでるんですか」
ワタナベが意地の悪そうな目で俺に尋ねた。
どうせロクな場所じゃないと踏んでいる、その目が挑発的に光っているのをみとめた。
「まぁワタナベ君が生きてきた中で考えても、きっと見たこと無いと思いますよ」
素気なく答えると、座組み一同がおおっと言う声を上げた。
こいつらは本当にどうしようもない。
他人のトラブルが好きな下種の癖に、平和主義者みたいなツラしやがって。
煽られたワタナベはふふんと鼻を鳴らして笑うと
「まさか、雑居ビルの屋上でキャンプしてるとか言わないよね」
挑戦的な目で言った。
舞台上で厭な不要のアドリブをやる時と同じ目だ。相手を困らせて自分がどうにか挽回することに喜びを見出している小物だ。
そしてそれを「芝居」だと勘違いしていやがる。
俺はワタナベから目を切って、再び壮年に目を向けた。
「それは漫画の読み過ぎだよ」
ねぇ?と言うと、壮年は曖昧に頷いた。
ちょうど店員が飲み放題終了だと追い出しにかかったので、じゃあ今からみんなで行きましょうと声を掛けた。
壮年は雑居ビルの屋上でキャンプと言うのな何だかわからず、近くにいた地下アイドル崩れに質問したが、九条の大罪だとか言われてもやはり何もわからないようだった。
アプリで呼んだミニバンのタクシーに乗り込み、住所を告げるとタクシー運転手は首を傾げた。
「俺たち劇団員なんですよ」
と言うと、納得したようなしていないような曖昧な顔で頷いた。
何人かは既に寝ているし、壮年は地下アイドル崩れをどうにか口説こうとしていた。
それと付き合っているワタナベは余裕の笑みでタクシーの走る先を見ていた。
「なんだ、別に都心じゃないんだ」
招待するというから期待しちゃったな、などと言うがオーディエンスが足りないので厭味も成立していなかった。
タクシーはガスタンクの真下で停まった。
辺りは暗く、虫がうるさかった。
「スガくん、会社の社宅かなにか?」
ワタナベは不安を隠すように強がりを言っているのが分かった。
降ろされた面々も「何もない」「思ってたのと違う」「社宅じゃつまらない」などと不満を漏らした。
「まぁまぁ、いいから」
俺がガスタンクに付けられた階段を登っていくと、座組みは黙った。
「ほら、何してるんですか」
悪い冗談だと思ったのか、壮年は引き攣った顔で笑いながら
「もういいよ、スガくん。帰ろう」
と言ったが、タクシーは返してしまったし辺りには何も無かった。
俺は構わず階段を登り、中断に位置する足場で鍵を出すとさっさとドアを開けた。
「ここですよ」
状況が飲み込めずに戸惑っていた座組みだが、挑発に乗ってやるよとばかりにワタナベが大笑いしながら階段を登った。
「いや、スガくんも凄い冗談を思いつくね。折角だから中を見せてよ」
そのワタナベに乗って気を大きくした面々は、自身を鼓舞するように笑うとワタナベに続いた。
鉄の階段を登るごつごつとした音が暗闇に響く。
俺が扉のそばにあるスイッチを押すと、中にぼんやりとした光が点いた。
「廃屋ほどじゃないですけどね、ここに棲んでるんですよ」
俺は廃ガスタンクの中を見せた。
巨大な空間には簡素なベッドとデスク、チェアがあるだけだった。
「まだまだ改造が進んでなくて、これからってところですけど」
内部の梯子を降りた座組みの面々は、ベッドに腰掛けたり反響する声を楽しんだりし始めた。
壮年は自身の想像を越えた事態に何も言えず、案外と楽しみ始めた地下アイドル崩れに苛立ったワタナベは
「ここはアパマンとかスーモで見つけたの?」
などと言い始めた。
俺は内部にかかった梯子を上げて
「じゃあゆっくりしていって」
と声をかけて扉を閉めた。
「おい、スガ君!」
口々に俺を罵る声が聞こえる。
中からは出してくれだの、警察を呼ぶだのと聞こえるが全て聞き流す。
馬鹿馬鹿しい。
お前らみたいな打ち上げと出会いが目的の役者たちなんぞ一掃された方が良いに決まっている。
それが世界の為だ。
金閣はね、燃やさなきゃならないんだよ。
俺は打ち捨てられた廃材を廃ガスタンクの真下に並べて火を放った。
巨大な球体がゆっくりと熱せられていく。
ガスタンクは巨大なファラリスの雄牛となり、俺は焚き火の側で踊り疲れて眠った。
出会いと打ち上げが主目的の劇団や座組みはもちろん、軽佻浮薄な政権批判とか脱原発みたいな事をやる団体は死滅した。
そして全員が資本主義の走狗として頑張る世界になった。
なったんだ。