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【超短編小説】薔薇薔薇死体

 銀 塩子の身体中に生い茂った薔薇を眺めながら、大きく吸い込んだ煙草をゆっくりと吐き出す。
 その美しさはいま、自分だけのものだ。
 それは誰にも見られないし、写真にも残らない。
 だからこそ良い。
 森 目々人は眩暈にも似た興奮の中で少し目を閉じて思い出していた。


 記録写真より優れている写真は無い。
 目々人はそう考えている。
 それも、何の変哲もない街の風景をスナップに写したものが何より優れている。
 何故ならそこには生活と記憶があるからだ。
 その時分に何をしていたか、どんな日々であったかを脳味噌と言う内臓から取り出せることが魅力だ。


 だが風景の写真はそうもいかない。
 いくら山野だとか海だとかの写真を眺めようとも太古の記憶が蘇るはずもなく、ただただ美しいだけの景色は記憶に残ることが無い。
 しかし塩子は違う。旧式になってしまったデジタルカメラを弄りながら、カチャンと言う音を立てて景色をメモリーカードと言う器官に収める。


「私が見た美しいと思う景色を、どうやってみんなに伝えられるかな。そう考えながら写真を撮っているの」
 塩子が持つカメラの先でレンズキャップが揺れている。
「どうせ帰ったらパソコンでレタッチするんだろ?」
 コントラスト、ヒュー、サチュレーション。
 過剰に飾り立てられた写真は、並んで見た景色からかけ離れている。
 少なくとも目々人はアメリカのケーキみたいな色になった風景写真が好きではなかった。


「私にはそう見えるし、反響もあるんだよ」
 塩子は言う。
 目に飛び込む瞬間的なドラッグに飛びついているだけだよ、と言いかけて目々人はやめた。
 塩子はこうして並んで見ている景色を覚えているだろうか。
 葉の形、葉脈、それらが落とす影や空に向かって伸びる血管のような枝。
 風の匂い、空気の密度、音。


 それらを収めた脳味噌は目々人にとってなによりも大事だった。
 だから何かを忘れることを極端に恐れていたし、一度でも収めたその光景は何度も何度も思い出しては楽しんでいた。


 煙草の先端から灰が落ちる。
 写真に夢中な塩子が一緒に見た光景を覚えいなくたって仕方ない。それでも自分だけはずっとこの光景を覚えておこう。
 目々人は白く冷たい塩子の身体中から咲いている薔薇を眺めながらそう決めた。

 さようなら、塩子。愛してるよ。

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