Re: 【短編小説】解釈MYフレンド
俺の小説を読み終えた男が見当違いの解釈をベラベラと喋っているのを聴いていた。
そんな馬鹿げた話を書いた覚えは無いが、そう読ませるものを書いたのは他ならぬ自分自身なのだ。相手の男が読解力の無いアホだと罵るよりは、自分を責めるべきだろう。
だが──
「勃起だ下ネタだって、欲求不満か?」
俺は堪えきれずにこぼしてしまった。
✳︎✳︎✳︎
目を覚ますと俺は白く無機質な部屋にいて、メトロノームのように電子変換された心臓の鼓動が響いているのが聞こえた。
俺は手も足も、指の一本すら動かす事が出来ずにベッドの上に寝かされている。
何がどうなってここにいるのかは覚えていないが、とにかく良くない状況なのは理解できた。
全身を不愉快さが這い回る。
だが寝がえりも打てない。病院の硬いシーツが余計な苛立ちを煽る。
口に装着されているらしいマスクからは乾燥した酸素が流れ込んできている。
喉が乾燥しているが咳も出せない。
最後の記憶が何であったか思い出そうとしたが、まるで波止場の突堤みたいに途切れている。
寝たきりの状態から察するに、ボクシングの練習中に事故ったか、バイクで不運と踊ったのか、ホームから突き落とされたか、刺されたか。
考えられる可能性がいくつかある。
自分の名前だとか生年月日だとかは出てきているが、それがじゃあ果たして本当に自分の名前で生年月日なのかと言うと自信が無い。
ガラリと引き戸を開ける音がした。
「あ、原桐さん起きてる。おはようございます〜」
目玉だけを動かすと、部屋の入口と思われる場所に様々な器具を満載した台車を押して、看護師と思わしき人間が入ってきた。
「原桐さん、起きたの久しぶりよ。わたしの事おぼえてる?」
看護師は歌うように俺に話しかけながら手早く熱や血圧などを計測した。
俺はしばらく看護師の女を眺めていた。
こいつは俺を原桐と呼んだ。どうやら俺が思い出した名前は間違っていなかったらしい。
だが俺はこの女を知らない。
覚えていない。
看護師の女は天井から下がっている点滴パックを交換すると、水滴が落ちる速度を調整しながら
「知ってる?明日は原桐さんの90歳の誕生日なんですよ」
そう言って自分の事でもないのに嬉しそうにふふと笑うと、軽く俺の頭を撫でて
「じゃあまたあとで来ますね」
と言って台車を押しながら部屋を出て行った。
やはり、俺は、この女を、知らない。
***
「俺が練習とかバイクで事故ってカタワんなったらさ、まぁ頼めたもんじゃねぇけど、生命維持装置とか止めてくれよ」
「んー」
「動けなくなったら、意志の疎通が出来なくなったら、自分でメシが食えなくなったら、それは生きてると言わねぇよ」
「わたしは原桐さんにどうなっても生きていて欲しいですけど、原桐さんが望むなら」
「約束してくれよ、お前と生きていられないのは苦しすぎる」
「じゃあ、私がそうなった時も同じ様にしてくれますか?」
「当たり前だろ」
「ニュースになっちゃいますよ」
「構わねぇよ」
***
また夢を見ていた。
まだ俺の身体が動かせた頃、付き合っていた女にそんな頼みをした気がする。
それが恋人だったのか、結婚していたのかも曖昧だし、いまのが単なる夢なのか、実際にあったことを思い出しているのかも分からないが、俺がそう望んでいた事は覚えている。
しかし俺が90歳でこうして生きているという事は、その約束や願いは果たされなかったという事になる。
ただ仮にそれを伝えていたとしても、それが果たされなかったからと言って彼女を責める事はできない。
単にスイッチを切ったりコンセントを抜いたりするのが厭だったのかも知れない。
俺はこうして何年ここに居るのか、いま彼女は生きているのか。
急に目頭が熱くなり涙が溢れ出した。
「泣いてんのか、マヌケ」
声がする方に目を向けると、年老いた男が立っていた。
正装と言うには汚れと解れが目立つ一張羅を着ていて、皺とシミと髭で未開拓の大地みたいな顔をした男だった。
目深にかぶった帽子で顔は良く見えない。
「誰ですか、ってなぁ目つきだな。俺はおせっかい焼きの那賀指辰雄。覚えてねぇだろうが、かつてお前の同志だった人間だ」
那賀指辰雄と名乗った男は手に持っていたステッキで帽子をクイっと上げた。
その顔にやはり見覚えは無かった。
那賀指辰雄はゆっくりとこちらに向かいながら言った。
「俺はお前の解釈違いに対する指摘を未だに許しちゃいねぇよ」
何かの話をしているが、その内容を俺には思い出せない。
「でもな、このままって訳にもいかないだろう。だからこうして来てやったんだ、感謝しな」
那賀指辰雄は俺が寝ているベッドの脇にある椅子に座った。
「本当はお前が俺のトドメを刺す予定で生きてたのにな、煙草も酒も止めたお前が先とは参っちまう」
那賀指辰雄はステッキで生命維持装置の主電源を指した。
「約束だからな。……何か言い残す事はあるか?」
俺は静かに目を閉じた。