【超短編小説】ブルース内線電話ウィルス
咳をすると、鼻の奥から厭に固くなった茶色い痰が飛び出た。
「厭ね、もう」
母親が嫌悪感を隠そうともせずに言った。
「別に俺だってしたくてやってるのとちがうわ」
まだ鼻の奥、と言うよりは喉に違和感を覚えながら言い返した。
恐らく風邪を引いた。
どこでもらったか、と言われればバイト先以外には考えられない。
それも寂しい話だが、ここ数日はそれ以外の接触が何もない。移動中、もしくはアンタら家族からのそれって事になる。
「まぁバイト先だろうなぁ」
風邪かインフルエンザが流行っている、と言うのは職員から聞いた。
「あら、そうなの」
「なんか毎年、内線電話で感染る人が多いんだとさ」
俺がそう言うと、母親は手に持ったコーヒーサーバーを一瞬止めて逡巡すると、今度は不機嫌そうに音を立てて置いた。
「なんだよ、急に」
「だって馬鹿なことを言うから」
「は?今の会話のどこに馬鹿な要素があったんだよ」
「電話で風邪が感染る訳ないでしょ」
「感染るんだよ、実際に」
「どうしてよ、どうやって感染るのよ」
「風邪引いた奴が電話を使えば感染るだろ」
母親はもういい、と言うように手を振って俺の話を追い払っている。
俺は淹れたてのコーヒーを自分のカップに注ぎながら少し考えた。
母親は何かを誤解しているのでは無いだろうか。まさかとは思うが、風邪ウィルスが電話線を通して感染すると言う意味で言ったと思ったりしていないだろうか。
いくら何でもそんな訳が無い。
同じ内線電話を複数人で使い回すのだから、そこから感染するなんてのは当たり前の話だと思うが、そうでは無いのだろうか。
相変わらず苛立たし気にコーヒーを飲んでいる母親を横目で見ながら、まさかそんな馬鹿な勘違いはないよなと考える。
いつかそうなる日も来るのだろうけど、いまはそうじゃない。
だから確かめる必要も無い。
これでコーヒーが薄かったらどうしようか、と思うと飲む気にはなれなかった。