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【小説】唐揚道部vs痩せ部

 長く続いた残暑もようやく和らいだ九月の風を、難波ツケ郎は全身で楽しんでいた。
 照り付ける熱い太陽と冷たい北風が汗ばんだ身体を弄ぶ。ツケ郎は辺りを見回して、屋上に誰もいない事を確認すると、学ランの内ポケットから煙草を取り出した。
 100円ライターで火を点けた時、手羽原先輩の事を思い出した。
「別に部活を辞めようが、唐揚げを嫌いになろうが、煙草を吸おうが構わん。だが、そこに納得と信念を持て。誇りと拘りを棄てるな」
 なんだよ、煙草の信念とか拘りって。昭和臭くマッチでも擦れってのか?
「冗談じゃねぇ」
 ツケ郎は煙草を咥えたまま頭の後ろに手を組んで寝転がった。
 遠くで、男たちの掛け声が聞こえる。それが唐揚道部か、他の運動部かは分からなかった。
「唐揚げなんてクソだ」

 最初の頃は唐揚道部が楽しかった。
 料理なんてした事の無いツケ郎を歓迎してくれたし、先輩たちはイチから教えてくれた。いちいち手を洗う煩わしさすら感じなかったし、手拭いを使う度に畳んで置く様式美には感じ入るものがあった。使う順番に並べる包丁や調理器具の扱いは繊細さを極めた。
 鶏肉が柔らかくなるのも待ち遠しかったし、太い血管や筋を取るのも苦じゃなかった。
 皮目の処理や、出来るだけ目立たない穴を開けてツケだれを染み込ませるのも楽しかった。そして何より、自分の唐揚げを美味しいと言って貰えるのは嬉しかった。

 しかし、手羽原先輩たちが引退した後、その状況は一変した。
 ただただ味が濃いだけで、変化や工夫に乏しい唐揚げを作る百田部長たちが仕切り出したからだ。
 めんつゆとニンニクとごま油で味付けされた唐揚げは、思春期の男たちにはウケが良い。味にムラがあろうと、雑な皮目の処理で焦げようと、とにかく白米をかき込むことを目的とされた唐揚げが部の唐揚げを支配した。

 ツケ郎の作る唐揚げは評価されなかった。
「なに?揚げた後にツケだれに入れる?」
「お前、唐揚げをナメてんのか?」
「食感が死ぬじゃねぇか!」
「タルタルでもかけて食ってろガキ!」
 百田の一派に罵倒された。試食すらして貰えなかった。当然、大会や試合になんて出して貰えないし、運動部の応援炊き出しにも呼んでもらえなかった。

 悩んで、引退した手羽原先輩に相談したことがある。
 その時に言われたのが、あの言葉だった。
「別に嫌いじゃねぇよ、唐揚げは」
 咥えたままの煙草が揺れて、灰が北風に乗って遠く散らばっていった。

 俺だって味付けの濃い唐揚げも好きだ。
 でも濃い味の唐揚げ一辺倒では行き詰まってしまう。実際にウチの唐揚道部は伸び悩んでいたし、炊き出しに唐揚道部を呼んだ運動部の連中だってその味に飽きはじめていた。
 しかし百田は方針を変えず、むしろより濃い味に執着していった。
 下味にカレー粉を付けたり、五香粉を付けたり、とにかく最初に唐揚げを噛んだ瞬間のインパクトを求めた。

「百田さん、それは違いますよ!」
 ツケ郎は抵抗した。
 唐揚げが攻撃的である必要は無い、食事と言うやすらぎの場にふさわしい優しさがあるべきだと主張した。素朴で、少し醤油を垂らして食べたくなるくらいの、やさしい唐揚げ。揚げ終わった後に一瞬、つけダレにくぐらせることで、その物足りなさをカバーする。
 唐揚げそのものも工夫したい。全体に火を通したら、上半分はあっさりと揚げて下半分は焦げる寸前まで揚げる。ひとつで二通りの食感を演出して楽しませる、そんな唐揚げをツケ郎は目指していた。

「馬鹿野郎が!」
 そんな手間をかけてられねぇんだよ、百田はそう言ってツケ郎を殴り飛ばした。
「校庭を見てみろ!野球部、サッカー部、ラグビー部。あいつらがお前の作るお優雅なお唐揚げを悠長に待ってられると思うか?」
「俺たちは奴らの為に唐揚げを作ってるんじゃありません!」
 唐揚げの盛られた皿をひっくり返そうとした百田を殴り返して、アイラップに唐揚げを詰め込むとそのまま家庭科室から飛び出した。

 俺が目指す唐揚げが間違っていたのか?ツケ郎は自問自答した。
 俺たちは唐揚道部として唐揚げに磨きをかけている。それぞれに目指す唐揚げがあり、その唐揚げに向かって精進していた。確かに、大会や試合に出る運動部の炊き出しを手伝う事もあった。
 しかし、それは本来の活動目的ではない。

「あつっ」
 短くなった煙草が唇を焦がしそうになり、ツケ郎は吸い殻を指で弾いた。
「ダメですよ、校内で煙草は」
 煙草が転がった先で誰かが言った。目をやると、知らない女子生徒が立っていた。
「チクるんなら好きにしな」
 ツケ郎は身体を起こして、アイラップから唐揚げを取り出して齧りついた。
 旨い。鶏ガラを解いた薄めの醤油出汁に、ごくごく少量のニンニクと生姜、葱や紫蘇などの刻んだ香草類を入れてしっかりと下味と香りを付けて、細かく砕いたナッツを混ぜた揚げ粉で半分は柔らかく、もう半分は強めに揚げた。
 手間はかかる。だが、その分、旨い。
 俺の唐揚げは何が間違っているのか。

「それ、私も貰っていいですか」
 女子生徒はアイラップの中にある唐揚げを見ていた。
「あ?」
「唐揚げ、ひとつください。お金が必要なら払います」
 鞄から財布を取り出そうとした女子生徒を見たツケ郎は慌てて止めた。
「要らねぇよ金なんか!」
 ん、と言ってアイラップごと渡した。女子生徒はツケ郎からアイラップを受け取ると、唐揚げをひとつ取り出して齧った。カリと硬質な音がこ聞こえたツケ郎は、堅揚げ部分から齧ったのだなと思った。

 旨いか?
 そう訊きたくなるのをツケ郎は我慢している事に気づいた。自分の唐揚げが旨いのか、しばらく誰からも感想を貰っていなかった。
 寂しかったのかも知れない。それなら、俺はとんだ精神的虚弱野郎だ。そう考えながらツケ郎は、自分の唐揚げを食べる女子生徒を見ていた。
「おいしい」
 女子生徒は呟くように言った。
「旨いか?!」
 ツケ郎は食い気味に訊いた。嬉しかった。その一言が聞きたかった。俺の唐揚げは、たとえ部の方針に合っていなかろうとも、旨いと言う一言で救われる。その瞬間を待っていた。
 旨いか、そう訊かれた女子生徒は頷いた。
「そうか、旨いか」
 ワハハと笑おうとした瞬間、女子生徒の手にある唐揚げが殆ど減っていない事に気づいた。女子生徒は少し困った顔をして「本当においしいです」と呟いた。
「お前、まさか」
 一陣の北風が吹き抜けて、女子生徒の制服を煽った。
 上着の内側に一瞬見えた刺繍を、ツケ郎は見落とさなかった。
「痩せ部……」
 女子生徒は頷いた。
「失格ですよね、痩せ部」
 それでも女子生徒は、小さく噛み千切った唐揚げを何度も何度も咀嚼してから飲み込んだ。一粒の唐揚げはまだ半分にもなっていなかった。
「どうしても食べたくて、それが厭で、食欲が気持ち悪くて、他のひとたちが食べてるのも気持ち悪いし、その臭いも厭だから、屋上に逃げてきたけど、結局ダメになっちゃいました」
 だから、そのアイラップは隠してください。さもないと全部食べちゃいます。
 女子生徒は虚ろな笑顔で言った。
「あーあ、こんだけ食べたらいっぱい走らなきゃな」

 ツケ郎は熱した油風呂に落とされたような気分になった。
 こんなにも悲しい唐揚げがあるのか!
 こんなにも寂しい唐揚げがあるのか!
 何が心の安らぎだ、なにがゆる揚げと堅揚げのハーモニーだ、なにが、なにが俺の唐揚げか!ここにいる女学生ひとり満足させる唐揚げを作れずしてなにが道か!
 ツケ郎はドリップの様な涙を流しながら、アイラップの中にある自身の唐揚げを貪った。
「ダメだ……これじゃ全然ダメだ……」
 その唐揚げは全く味がしなかった。
 食感も何もなかった。
ツケ郎は口に唐揚げをまだ残したまま女子生徒を向いて言った。
「すまない、アンタたち痩せ部がなんの躊躇いもなく食える唐揚げ、おれが絶対に作ってやる」
「え?」
「ありがとう、目が覚めたよ」
 ツケ郎は礼を言うと内ポケットにあった煙草を手渡した。
「どうしても喰いたくなったら煙草を吸え、体には悪いが喰う気を無くせる」

 凄い勢いで屋上を出ていくツケ郎を見ながら、女子生徒は困り果てていた。
「煙草なんて渡されても……」
 ようやく半分にへった唐揚げと煙草を持ったまま、この後のランニングをどうしようか思案していた。

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にじむラ
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