【短編小説】武蔵野クソ自転車
クソを漏らしそうだった。
俺はペダルを踏みながら頭の中で地図を開いたが、前後500m以内にコンビニは無さそうだった。
そしてそれが俺の活動限界であると悟った。
俺の人生には数少ない自慢がある。
虫歯になった事がないのがひとつ。そしてもうひとつは、クソを漏らした事が無いのがそれだ。
だがその自慢が今日、終わろうとしている。
しかもチャリンコに乗ったままだ。職場の先輩に聞いたクソの緊急回避術(横膝の上を叩く)を試したみたが効果は無かった。
野糞、と言う文字が頭を過ぎる。
成人してから十何年経った?就職してから何年だ?
大した問題も起こさずにここまでやってきた。学生の頃はボンクラ過ぎて親にすら「マンション買って管理人でもさせるしかねぇか」などと言われたが、必死に生きてきた。
その結果が野糞なのか?
冗談じゃあない。
俺はペダルを踏んでチャリンコを前に進めた。何か解決策があるはすだ。それが何かは分からない。
例えば公的機関。そう、俺たちの暴力的な公僕。
果たしてそこに交番があった。
俺は自転車を停めた。箱の中に突っ立った公僕たちが俺を見る。
「すみません、ちょっといいですか」
俺は限界を感じながら公僕たちに訊く。
「トイレは借りられますか」
いつも俺の職務について質問されるんだ、たまにはこちらから何か訊いたって良いだろう。
公僕たちは笑う。
「普段は貸さないんだけどね、そんなに切羽詰まった顔をされたら貸さない訳にはいかないよ」
俺も笑う。
さっさと貸してくれ。
俺は公僕が使う便所で無事に腹の中にある糞と言う糞を出した。
白かった壁紙は手垢とヤニで茶色く変化していた。何か警察標語のようなものがあると思ったが、何もなかった。
便所を出たら親切な公僕たちに思う存分、職務質問をさせてやろう。暇な交番勤務だ、退屈凌ぎにはなるだろう。
深夜に自転車を漕いでるクソが限界を迎えようとしている男、そいつが乗る派手な自転車。
聴きたいことはあるだろう。
構わないさ、俺の尊厳を守ってくれたんだ。
俺は最後の糞を腹から落とすと公僕が使う固い紙でケツを拭いた。
ウォシュレットは無かった。
ズボンを履いて立ち上がる。
音だけは立派な換気扇が俺のクソが放つ臭気をかき混ぜている。
俺を救ってくれた公僕の箱、その公僕の箱の中にある小さな箱。
サンキュー、ありがとう。
俺はやはり手垢とヤニで汚れたドアを開けた。
そこに広がっていたのは無限の荒野だった。