Re: 【小説】DOPPELGANGER
冬至を過ぎても夜は早い。
仕事を終えたエイジはマンションの内階段を上がりカラフルなキーケースの鍵で油分の足りないドアを開けた。
帰宅するまでが労働だろ、通退勤にも手当をつけて欲しい。
叶えられない願いとともに玄関に散らかった自身の靴をいくつか蹴りとばすと、フローリングの床を滑るようにすり足で進んだ。
ただいま。
電気をつけると暗い部屋に積みっぱなしの疲労がソファだとかベッドの下に隠れた。
多忙とは言え掃除の手を抜いている床は細かいゴミが散らばっていて、何を踏むかわかったものではない。
先日は乾いたコメを踏んだし、その前は乾ききった冷凍のコーン粒を踏んだ。
さっさと部屋の掃除をするか、業者を呼んで部屋を綺麗にしてもらうことを考えるべきだ。
そんなことはエイジにもわかっている。
だが掃除も業者を調べるのもいまは面倒だ。
ため息をつく。
こうやって部屋に疲労がつもっていく。
机の上にある合鍵にも埃がつもっている。
エイジは身を投げたソファの座面がひどくズレているのを感じながら、掃除だとかゴミ捨てと言う現実を追い払うようにテレビをつけた。
音を消した画面の中ではおそらく流行りの若手芸人だろう、なにかを大声で叫んでいる。
エイジはそれが誰か知らない。顔と名前が一致しないし、ちがいもわからない。
すでに立派な老害ということだ。
うんざりするが若者でいられる期間は短い。
人生の大半はおじさんの期間だ。
そのおじさんの期間を経て遅かれ早かれ老害をやることになるのだ。
それが平均よりすこし早いだけだろうと思ってエイジは自身をなぐさめていた。
同じ顔、か。
今時の若者は同じ顔に見えるが、若者だってエイジと他のおじさんの顔に区別などつきはしないだろう。
だんだんと厭な気持ちになってきたエイジはテレビを消してしまった。
気合を入れてソファを立ち上がる。
気分転換の煙草を吸うためにベランダにむかったエイジは、煙草に火をつけた瞬間に部屋の中から物音を聞いた。
誰かいるのか。泥棒か。
盗んで金になるようなものは何もないが、それでも腹は立つ。
火をつけたばかりの煙草をベランダの床に落としてサンダルで踏んずけると、エイジは窓を開けて部屋を覗いた。
誰もいない。
しかし誰かいた気配が残っていた。
狭いワンルームで隠れる場所はせいぜいユニットバスかクローゼットだろう。
エイジは足音を立てないようにユニットバスに近づいて取っ手を掴んだときに、武器になるものを持つべきだったと後悔した。
仕方なしにポケットのスマホを硬く握りしめたエイジは、深く呼吸をしてから一気にユニットバスのドアを開けた。
「らぁっ」
恐怖をかき消すための声がまぬけだった。
ユニットバスの中は真っ暗なままで、部屋の明かりが射し込む範囲では何も見えなかった。
照明をつけてみたが湯舟の中にも誰もいない。
気のせいか、とエイジがため息をついたその時だった。
玄関で物音がした。
鍵をガチャガチャといじる音だった。
誰かが入ろうとしている?
エイジはパニックになりそうな自分をどうにか抑えつつ、ユニットバスのドアを閉めて息を潜めるとじっと部屋を伺った。
誰かがエイジの様にすり足で部屋を進み、さきほどのエイジと同じようにソファに腰かけた。
そして全く同じようにテレビをつけると音を消し、何分か眺めるとテレビを消した。
この後の行動をエイジは知っている。
ソファを立ち上がりベランダに出て煙草を吸う。
その後は。
エイジは急に恐ろしくなった。
あいつがこちらに来る前に隠れなければ。
あいつ?
隠れるってどこへ?
パニックになったエイジはユニットバスを出ると、ベランダに背中を見せないようにしてベッドの下へと潜り込んだ。
予想通りだった。
いや、それを予想とは言えない。自分が帰宅してからそうした通りだった。
ベランダにいるエイジは窓を開けて少しすると、ゆっくりと、音を立てずにユニットバスに近づいた。
そして先ほどのエイジと同じように一呼吸いれると一気にドアを開けて中を伺っている。
その時だった。
玄関で再び物音が聞こえた。
ユニットバスのエイジは身を潜めた。
帰宅したエイジは鍵を使って部屋のドアを開けて摺り足で部屋を進むとソファに腰かけた。
この先に起こる事をエイジは全て知っている。
いまユニットバスにいるエイジがベッドの下に潜り込もうとする。
厭な予感をしたエイジは狭いベッドの下でゆっくり振り向くと、すでに何人かのエイジがそこにいるのを見た。
狭い空間におびただしい数のエイジが横たわっている。
エイジの目の前にいるエイジは両目を見開いて死んでいる。
エイジも数十秒後には死ぬ事になるだろう。
そしてそこに立っているエイジも同じようにして死ぬのだ。
その時エイジたちの潜むベッドの後ろでユニットバスに隠れていたエイジが立つ気配を察知した。
もう間もなくエイジがここに潜り込む。
そうして死ぬ。
いや、ベッドの下から溢れたらさすがにエイジの増殖も止まるだろう。
もしかしたらエイジが知らないだけでクローゼットの中もすでに他のエイジでいっぱいなのかも知れない。
エイジは薄く笑った。
いや、それならそれでいい。
そのうちユニットバスも満員になり、この部屋がエイジで溢れかえる事になる。
そうなったときにようやくすべてが終わるのかも知れない。
エイジはゆっくりを息をいれると、目の前にいるエイジの首が反転するのを見た。