じゃん=固め・濃いめ・脂普通≠がら
真冬に苺を喰って喜んでいる奴が養鰻がどうのと文句を垂れている。
マチ針のむしろ。
首を吊る練習をしたり飛び込む電車の時刻表を確認したりした事はあるか?
むかしは駅のホームに喫煙所があったし、枕木の下にある石の隙間は吸い殻で埋め尽くされていたものだ。今は綺麗だな。そこには俺たちの願いとか未来しかない。そして石と同じように次第に砕かれていっては新しいものに交換される。
大丈夫だよ。
真夜中に鳴く蜩の声を聞きながら走る。
白いフェンスによじ登る毛虫。お前は蝶になるのか?それとも蛾になるのか?その前に鳥に喰われるのか?鵺。百舌鳥。烏。鳩。ピース。俺たちは蝶や蛾になれたのか?ピース。煙は甘いヴァニラの香りがする。
青信号が点滅している。車は走っていない。誰も俺を轢き殺さない。
平日の朝、通勤するひとたちを見ながら新宿駅10番線ホームの喫煙所で煙草を吸った後に電車で河口湖に行きたい。そこに何があるのか知らないけれどそこに行けば少なくとも救われる気がしている。単なる迷信だ。どうにもならない事がある。でもどうにかなる事がある。それでいい。
俺は入口付近の冷房が直接当たる席でラーメンを喰っていた。固め濃いめまではいいが、戦争の遠まわしな影響で油多めは出来ないらしい。卓上の酢やゴマも片付けられている。世界大戦の頃もそうだったのか?それなら表で「冗談じゃねぇよ」と叫んでいる女にも納得がいく。でもそれだって大した事じゃない。
午前4時にディズニーランドデートをキャンセルされた女の話を聞いた事がある。浮気相手の女の家から電話させられたのだろう。誰も幸福にならない電話がある。そもそも電話が幸福だった試しなんてあるか?
俺が学校の宿題をサボりながら何年目かのタッチだとかアシベを見終わって、どうなってるのと言うワイドショーを見ながら世界のクソさを学んでいた頃だ。勤務先の歯医者からわざわざ「冷房をつけていいわよ」と言う電話を入れてきた母親を思い出す。自主とか何だとかをまるっきり無視した最低の電話だ。俺はアンタが家を出た直後から冷房をつけているし、暑さに耐えようなんて気は全くない。
その頃からとっくに夏は死の季節だったんだ。
不味そうにラーメンを喰っていたと言う理由で父親にシバかれてから随分と経ったが、果たして俺は旨そうにラーメンを喰えているか?シェリー、いつになれば俺はまともにラーメンを喰えるようになるんだろう。シェリー、そっちは暑くないかい。俺は上手く書けているかい。シェリー、お前がいない方が世界は美しいなんて事はない。シェリー、ラーメンを喰って得られる幸福なんてタカが知れているんだよ。塩と脂よりシェリー、コーヒーと煙草だよ。シェリー、お前がいるのが前提だ。
万年補欠の剣道部員だった頃に学校帰りの駅近くで食べていた豚骨醤油のラーメンも家系だったと思うがそこがどの系列だったのかは思い出せない。そもそも家系ラーメンの系譜を覚えている人間なんてのはごく一握りだし、家系ラーメンの系譜なんて存在すら知らない人間が過半数だろう。そんなもんだ。暗記していたって合コンのネタにもなりゃしねぇ。
白い道着の先輩が言ってたよ、合コンで剣道部はモテないって。日焼けをしない一年中真っ白なのに汗と染物の匂いが染みついた身体。「ポジションはどこですか?」「先鋒です」「どんな戦法なんですか?」「主に出小手をメインとした小狡い戦い方をしています」全日本剣道連盟認定三段、どんな履歴書にだって堂々と書いたが父親には多摩地区限定だと言われた。限定解除はまだできていない。400㏄の剣道だ。400㏄もあれば十分じゃないか?そうさ、俺の出小手は排気量50㏄も無い。2ストロークの出小手だったらまだ可能性があったかも知れない。セルスイッチも無い人生だ。つまりクソだ。
そういう意味では補欠をサボった安部先輩は正しかったのかも知れない。所属も学校もクソ喰らえと言う精神こそロックだ。あんたは正しい。学校に牙や金玉をとられていない人間だった。実際にアンタは結婚して子宝に恵まれている。さすがだよ。俺はアンタの精神にあこがれるべきだったな。俺が憧れたパイセンは会社を辞めて引きこもりをやっているらしい。可能性は煉獄だよ。俺にもパイセンにも。そうだろ。99.99%の失敗。真逆から見たって結果は同じだ。
シェリー。0.01の壁は厚すぎるよ。
避妊をしない種類の人間と避妊をする種類の人間がいて、避妊をする種類の人間が避妊具をしないでセックスをした時に限って当たる。世界はそうやって人間を増やしてきた。俺もそうだ。お前もそうだ。ハードラックとダンスした結果がこの世界だ。不運のカタマリとしてこの世に生を受けた。アイムアゴッドチャイルド、膣の中で死滅した精子たちこそが天使なんだろ。
その死滅しなかった方の精子たち、つまり不運のカタマリの方である剣道部員は真面目だから防具に落書きをしたりしない。防具だとか竹刀にお洒落をすると試合に出られないらしいぜ。俺はいいけど心の中の岡本太郎はなんて言うかな?そうだ、剣道は爆発だ。ノーロープで有刺鉄線電流爆破竹刀を持っていくべきだった。小手はもちろん16オンスのグローブだ。中には小銭を詰めておけ、パンチが当たれば審判だって倒せる。
集団競技にも向いてないのに個人戦にも向いていない、そもそも生きるのに向いてないのに生まれてしまったからには死ぬまで生きていかなきゃならない。苦痛か?そうだ、だからもう二度と生まれてくる事の無いように。貝だとか鮎だとかになって琵琶湖の底で沈んでいたい。
琵琶湖のマイアミビーチに打ち上げられて死ぬ。そう、干からびて死ぬんだ。霞ヶ浦の周りには吊り上げられた鯉が何匹も死んでいた。鳥すら食わないやつだ。房総半島には鰯が転がっていたよ。鼠すら見向きもしない。俺も似たようなものだ。誰にも見向きされない。風は生ぬるい。
吉祥寺の夜。生ぬるい風に吹かれていた。猛スピードで走り抜けるママチャリの女がチャイルドシートの子どもに向かって「じゃあお前に400万返せるのかよ」と叫んでいた。深夜には深夜の事情がある。俺がこうして煙草を吸っているようにな。
俺が煙草を吸っていなかったら剣道部ではレギュラーを取れていたのか?今となってはどうでもいい。真夏の剣道場で午前の練習を終えた後に昼飯を食えなかった事は覚えている。俺はもっぱら竹刀を削ってはサボっていたがな。刀削メン!コテ!ドウ!火曜木曜土曜の部活どうでしょう?クソだったよ。俺は雑魚だった。板張りの道場。
俺たちに季節は関係が無かった。
卒業した先輩たちが遺していった竹刀が転がっている。半額のシールは貼られていない。
スーパーに並んだ寿司に半額のシールが貼られる。それを遠巻きに待っていた人たちが群がるのを見るのが厭だ。寿司に限った事じゃない。半額のシールを貼られるのを待っている人たちを見るのが厭だ。貧しさだ。意地汚さだ。プライドも何も無い餓鬼だ。その口に放り込む寿司の味を俺はまだ知らない。
スーパーは煉獄だ。俺たちは煉獄の使途だ。棚の奥から取り出す新鮮な豆腐や牛乳と手前の商品に味の違いはあるのか。その新鮮さは買うべきか。ひとつ仕入れては客の為、ふたつ仕入れては客の為。アルバイトの石を下らない客が蹴り壊す。
「じゃんがら、ってなに」
女は手巻き煙草にチョコレートの香りがする葉っぱを詰めながら俺に訊いた。
「父親の実家あたりの風習だよ、初盆だかでやるんだ」
俺は既製品の煙草に火を点けて煙を吐き出した。煙は換気扇に吸い込まれていく。換気扇のフィルターはすでに海老茶色く汚れていて、トリカエテネと言うサインが浮いている。新しいフィルターを買いに行かなければ、と思うが何かのついでにと思って放置したまましばらくが経っている。
祖父の時も祖母の時もすでにじゃんがらを呼ぶ事は無くなっていた。もしかしたら風習そのものが廃れてきているのかも知れない。遠い記憶にあるじゃんがらと言う風習を思い起こすが、太鼓だとか鉦だとかが鳴らされる賑やかな印象しかない。
祖父の自宅兼事務所になっている家の一階である仕事場には飾り灯篭が立てられて、回転する色とりどりの光が綺麗だったのを覚えている。だがそこに眠っていたのは誰か覚えていない。そんなに遠い親戚でも無かったと思うが。
「どんな祭りなの?」
「祭りと言うか単なる風習だよ。興味あるなら見に行くか」
「なんでそうなるかなぁ」
「男は夏と田舎と海辺を歩く女が好きなんだよ」
「海あるの、そこ」
「山も湖もあるぞ。車で2、3時間かかるけど」
「でもいいや、面倒くさいし」
ようやく煙草を巻き終えた女は指で俺を呼ぶと、俺が咥えた煙草から火種を取ると目を細めて煙草を吸い込んだ。
「だいたい、男はそうやってすぐに親とか実家とか言うでしょ。怖いわ」
「いや、別にそんなん経由せんでも見るだけならいいだろ」
「いい」
「そうか」
女が吐き出した香りはチョコレートの匂いが濃い。吸っている本人が言うには、吸う煙より吐く煙の方が匂いは濃いらしい。
確かに男は、と言うか少なくとも俺は田舎道だとかテトラポットのある防波堤を歩く女がいる夏の景色が好きだ。それはコンプレックスなのかも知れない。俺には地元が無いし、原風景となるものが無い。
それは何も白いポロシャツを着たラクロス部の女子高生だとかセーラー服の女子高生である必要は無く、白いワンピースと大きな麦わら帽子である必要も無い。
「なんかさ」
「うん」
「死にたくなるんだよね」
「そうか」
「このまま朝になったら目が覚めなければいいのに」
「時間が止まれば、それで済むのにな」
「厭な事はそのうち終わるけど、幸せな事ってぼうっとしてると消えちゃうから」
俺はフィルター近くまで吸った煙草を灰皿に押し込むと、空いた手で女の頭を撫ぜた。明日が無いならそれでいい。世界の終わりごっこをして眠る。別に死んだってかまわない。どうせ癌だとか痴呆だとかで死ぬ未来だ。ロクな事は無いだろう。
明日は来る。幸いにも俺たちの国は近代兵器に依る戦争をしていないから突然ミサイルだとかで死ぬ事も無い。地震だとか火災は仕方ないがそれでもかまわない。できるだけ苦しくない方がいいし、できることならば死ぬ直前に視線を合わせてから死にたい。
明日以降の幸せがあるのかも分からないならいま死んだ方がマシだ。そう思うのはわかる。今日よりこの瞬間より幸せな事なんてあるのだろうか。確証がないなら、いま死ぬべきだ。
薬だとか拳銃だとかで死ねるのならそれもありかも知れないな、と思っていると女が目を細めて嬉しそうに笑った。
「撫でられるのは好き」
それなら撫で続けて殺す方法だとか、そのあとに俺が死ぬ方法を見つけなきゃならないなと思った。
眠りそうな女の手から煙草が落ちた。布団を焦がす煙はチョコレートの香りがしない。だがこのままにしておくのも悪くないかも知れない。