【短編小説】ヒラタ爆炎
赤い顔をしたヒラタは、指紋だらけに汚れた眼鏡の奥に爛々と光る目を見開いて
「泡風船!」
と叫ぶと、口角の端に溜まった自身の泡を膨らませて弾けさせた。
女子生徒たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、おれたち男子は飛び散った泡の片鱗をお互いになすりつけ合った。
ヒラタは満足気に頷き、一番下の引き出しから一升瓶を取り出して口に咥えると、瓶を大きく回しながら中の液体を一気に飲み込んだ。
アル中の教員・ヒラタは卒業生を見送りたいと言う一心で5年生と6年生を受け持つ事になったが、生徒からの評判はすこぶる悪かった。
昨年までおれたちの担任をしていたムラタじゃなくなった事に心底ガッカリした。みんなムラタが好きだった。
ムラタはジジイの癖に、給食の早食いで生徒と真剣勝負をするような茶目っ気があった。
「良く噛んで食え」
みたいな説教はしなかった。
教室に備えてあったテレビで公共放送の連ドラだって見せてくれた。将棋の相手だって真剣だったし、相撲をやっても手加減しなかった。
でも危ないことをすれば本気で叱ったし、授業だって厳しかった。
みんな、そんなムラタが好きだった。
なんでヒラタがでてきたのか、みんな分からなかった。おれも分からなかった。
だからヒラタは最初からそんなに好かれていなかった。たぶんヒラタもそれは分かってしまっていた。
結局、小学校と言う狭い空間で、おれたちとヒラタにはあまりにも歴史が不足していた。
ヒラタが教えてくれた唯一のこと、それは人と人が一緒に過ごすには歴史が必要になると言う事かも知れない。
ヒラタは煙草臭かった。
時には教室にあるベランダで吸う事もあった。もしかしたら反権力とか、ロックだとかそう言う事なのかも知れない。
それでも、おれたちに好かれようと色々やったけれど、たぶん全てが裏目に出ていた。
おれたちはヒラタの湯呑みに、糊の乾いたやつだとかを放り込んだりフロッピーディスクに磁石をくっ付けたりした。
それは闘争だった。
愛されたいヒラタと、そのヒラタに対する憎悪やヒラタの愛を拒む生徒たちの闘争だった。
そしてヒラタは狂った。
おれたちがヒタラを狂わせた。
ヒラタは次々と一升瓶を取り出してはぐるぐると回して瓶の中に渦巻きを作りながら飲み干していった。
騒いでいたおれたちは静まり返ってヒラタの動きを見ていた。
赤く膨れ上がったヒラタは夕陽を受けて金色に輝いていた。
放課後の教室は緊張と言う名前の糸で縛り上げられていく。ヒラタは一升瓶を口から離すと大きく息を吸い込み、飲み干した酒を口から噴射した。
そしていつのまに手にしていた煙草には火が付いていて、それを口元にやると教室は一気に炎で包まれた。
おれたちを焼き尽くして満足したのか、ヒラタは頷くとゆっくりと泡になって溶けて消えた。