すずめの戸締まり感想戦
仕事の途中ではありますが、メモ代わりにざっとした感想をアップしときたいと思います。
ドアの開け閉め
鍵はその象徴であって基本的には他人との生活に於ける距離感の話でしたね。庵野が言う「絶対領域」を丁寧に処理してとても柔らかくして食べやすくしたやつ。
具体的に言うと、自分以外の他人がいる生活と言う領域に踏み込んで踏み込んでその果てに自分の生活に於ける叔母との不和を改善させる。これガイナックス(と言うかエヴァ)じゃん?と思う。思いませんでしたか?
そんでジュベナイルに必要な旅をしながら、それがひとりでは無いと言うのが重要で見事にクリアしている。少年だと怪しくて相手にされないポイントを少女だから易々とクリアできるし、距離感の埋まり方も凄く早い。
むしろ他人が絶対領域を持ってないからこそ自分のそれを自覚して叔母と喧嘩をできるようになる、と言うのがひとつの大きな成長テーマなのでキチっとしてる。
中古のカブリオレ(屋根が閉じない)と言うのも暗喩的で、何も隔てるものが無いようでいてその実ちょっと傷だらけの生活っすよねと言う表現でしょ。芹沢のチャラさは逆算的にそうなってるんだと思う。と言うかそこにチャラいのがいないと話が進まない。ジャスティス。教育学部。稲葉浩志かな?
事故って屋根が直るってのもそのままで、喧嘩をしたからきちんと閉まる様になりました。ドアが外れて風通しが良くなりました。道からは外れちゃったけど、元には戻れるから大丈夫と言うやつですね。凄い。
まぁ個人的にはサダイジン(大きい猫)が出てこなくてもあの喧嘩は成立してたと思うんだけど、出てきたことでの違和感は特に無い。ちゃんと感情の喧嘩ができてる良いシーンだった。
生と死
人が自然を切り拓いて棲み込んだ上で放棄した土地に出る扉、と言うのも厄災としての神って感じっすよね。そもそも神と厄災は同義(だと思ってる)だし、神が祀られない(人が来ない)状態になればそれはやはり厄災になるよね、と言うのは感覚的にわかる。
そこにあった生活に対する想像力、それはつまりそのまま現世での他人に対する想像力にも繋がって行く訳です。そこで想像力が天元突破してるすずめちゃんは、東京でひとがいっぱい死ぬ(数字としての100万人じゃなくて、一個の死が100万ある)と言うことに耐えきれなくなって、好きピを要石にする選択をした訳だ。究極の選択でありつつ、セカイ系を脱してリアルを選んだ訳ですね。
その後、半神状態のすずめちゃんは瀕死の老人に出会って女子高生に戻る訳でありますが、ここも示唆的ですよね。そう、そこにいるのは好きピの父では無く祖父であり、死に損ないであり、メンターであり、同じく境界線の上にいる存在な訳だ。
この映画は通して父性が欠如していて、それは主人公が少女だからってのもあるし、保護的支配からの独立だとか打倒を目標にしたものでは無いからだよな。
環さんが叔母として、父と母を引き受けてやっている中でどうしても母親的支配(コントロール下に置く)と言うのをやっていて、そことの闘争、及び超越が主眼だから父親は余計だ。なので徹底して排除されている。
好きピの父も出てこない。継承の物語に於いて父親は打倒すべき存在だけど、それが出てこないって事は父はそれを継がなかったんだから超越のしようが無い。祖父はメンターの役割なので、超越とか言う対象では無い。
旅先でも基本的に父親は出てこない。四国の旅館くらい?あとは完全に他人だよね。ただすずめの成長(旅)を導く存在として描かれているので、ダイジンと言うのは父性を担った存在なのかも知れない。神様さすがやで。そうなると最後にダイジンが要石に戻るのも、ある種の父性として見る事ができる気がしてきた。未来の為に死ねるのは男だ。なるほどな。
女子高生性
女子高生として地元を出て、四国で私服を貰ってそれを脱いだ時に女子高生を辞めた感じに見えるけれど実はまだローファーが残っていた、と言うのが個人的なポイント。
これは新海誠が足フェチだからかも知れないし、確かに制服よりローファーの方が女子高生を表現するのに適したアイテムかも知れない。それを脱いでいない、と言う事でまだ半分しか女子高生を辞めてないんですね。
新幹線に乗って興奮するすずめちゃん可愛かったですね。富士山を見せる為に何度でも載せてあげたいです。
そんで東京でミミズと闘った時に靴が脱げる、そこで初めて女子高生と言う身分を棄てる訳です。覚悟の現れだと思うんですよ。口先で死ぬのが怖くないと言っていた、その行動の突き当たりですね。
そこで起こした行動によってダイジン(神)が一時的に応える訳です。ひとを辞めたのなら応える、願いの代償と言う事だと思います。俺は神に詳しくないけどたぶんそうでしょう。
その後、地下で神と喧嘩をして地上に戻った時に異物扱いをされるんですけど当然ですね。靴を履いてない、人間じゃない存在な訳ですから。ここはもしかしたら、地下で神性を否定されたダイジンの感覚ともリンクしてるのかも知れません。そんな気がする。
そんでピの家に行って装束を女子高生に戻す、と言うシーンは熱いですね。現世にちゃんと戻ってくる、自意識を取り戻すシーンです。目的が明確になり、様々な覚悟が決まってる。その果てにピの靴を履くのは新海誠的には完全にセックスでしょう。エロい。
人から神になって人に戻ってまた神に
女子高生が靴を脱いで神になりかけて、また女子高生に戻って東北に戻ってミミズと闘って常世で一瞬だけ神になる、そんでまた扉を越えて女子高生に戻る。
ピの羽織りを纏って丘の上に立つあのシーンは、古代の神を彷彿とさせる絵作りなのでやはり神性を意識してると思うんだよなぁ。過去と対峙して良い意味での支配(自身がその瞬間の神であり要石)する事で前に進む、と言う意味合いだと思いますね。たぶんですけど。
総評
歳上のピとすれ違って急に父性を呼び起こされる(要石を抜く)事で叔母との生活に於ける破綻と言うか抑えていた不満(ミミズ)が頭をもたげてきて、家での旅にでる。よくできたジュベナイルでしたね。五日間くらいの短さってのもダラダラしてなくてすごく良かったですね。
全体的なテーマは庵野的と言うかエバーっぽさがあるんだけど、人間の描き方はジブリっぽさが凄いですね。特に人が笑う時の動きとか、たぶん凄い宮崎駿を意識してる様に感じる。
他には子どもの動きや飲食と言う部分に関する興味や洞察なんかも宮崎駿っぽさがあるし、これは次期のそう言うポジションになるでしょ。音楽で喧嘩売りにいかなくても大丈夫だと思う。凄いなぁ。敬遠してた昔が馬鹿みたいだ。オススメできますね。