Re:【短編小説】ハピネスセンター行きのバス(風船爆弾編)
テキサスブロンコは死んでいた。
空飛ぶ間抜けなオランダ野郎も死んだ。そもそも国境が曖昧になった地球はとっくに変形していて、最近じゃ梯子で月に登れるし折り畳んだ新聞紙を踏み台にして火星にも行ける。
おれはこの世の糞便を全て詰め込んだような便所を出て、個室サウナで汗を流した。
その後は知ってるだろ?女と自由恋愛が始まって、後は黒服に殴られる。
貴腐葡萄色の痣を撫でながら道玄ベリー通りを下る。
乗り継ぎのバスが出るまでまだ時間がある。New三鷹YORKはまだ深夜を続けたままだ。おれの痣に似た色の空が広がっている。
電車のシートで凝り固まった背筋が冷たい痛みを発する。おれは欠伸をしながら伸びをしてほぐす。
しかし経年劣化の激しい筋肉は記憶した形状に戻ろうと必死だ。
その形状記憶に抗うでもなく、おれは背筋を丸めて煙草に火をつけた。
全ての隙間に喫煙を詰め込む。ダークマターってのは喫煙のことだ。
おれが世界の隙間を埋めていると、ホームレスが寄ってきて煙草をねだる。
「だんな、お恵みを」
こいつらはおれより金を持ってる。
店で煙草を買う金ケチって、どっかでヘロインでも買う訳だ。
おれは煙草の箱を開ける。
ホームレスが覗き込む。
「好きにしな」
中に数本残ってるのを確認してから箱ごと渡した。
ついでに、持っていた食べかけのサンドイッチ、飲み残した炭酸ジュース、冷えたポテトも渡す。
「これもやるよ」
国籍も年齢も種族も不明なそのホームレスは、おれの目を見たままその紙袋を受け取って匂いを嗅ぐと、曖昧に笑って何か礼の様な言葉を口にして、踊るみたいに後退りする様な少し変わった歩き方で立ち去って行った。
特に礼の言葉はなかった。
「期待しちゃいないさ」
おれは自分を慰める。いつだってそうさ。
他人はクソだ。テキサスブロンコや空飛ぶオランダ野郎もクソだし、女もガキもホームレスもクソだ。
自分を慰め終わればまた暇がくる。
歩いて人見街道とブロードウェイの交差点を右に進み、両目が赤く光る仁王像を門前に置いた日本料理店に入る。
1980年代のハリウッド映画より過剰な日本風の装飾を施された店内は、むしろ失われた景色のひとつなのかも知れない。
闇ルートでしか出回らない蛍光灯は酷いフリッカーで瞬いている。
案内された席は五大湖産の東北民藝風でやたら座り心地が悪い。たぶん力士でも座って壊れたのを直したんだろう。
壁には琺瑯看板と任侠映画や浪漫ポルノ映画のポスターが貼られていて、隙間にお品書きがある。
おれは時価のイラマチオを注文したが、深海魚によく似た顔の女が出てきたので注文をキャンセルした。
適当な料理を頼み、アリゾナグリーンティーを舐めながらお品書きを見ていると、カマドウマの佃煮だとか土鳩の姿煮だとか胡乱なメニューの中に「幸福」と書いてあるのが見えた。
「それは何が出てくるんだ」
独り言みたいな訊き方をした。返事なんか期待してないからな。
するとカウンターの向こうでねじり鉢巻をした金髪メッシュのセーラー服型女子校生が肌を小麦色に変えながら
「灯油とガソリンを1:2で混ぜたメサドン」
とぶっきらぼうに答えた。
「そうか、だから日本男児は死滅したんだな」
おれは悲しくなった。
故郷を思い出すと、確かに日本男児はいなかった。
山岳育ちの骨格フレームにアングロサクソン型の筋肉を無理に搭載した不恰好な男たちが街を歩いていたし、隈・コルビジュエ風の腐食した建物ばかりが並んでいた。
悲しくなったおれはカウンターの中に入り、変色女子校生のミニスカートをたくし上げて派手な蛍光色の下着をズラしてから陰部へと潜り込んだ。
「地球空洞説を聞いた事があるか?」
女子校生は煙草を咥えてガラパゴス型携帯電話をいじりながら「馬鹿の見た夢だろ」と吐き捨てた。
「そうさ、お前の中に風船おじさんがいるぜ」
確かに女の中には風船おじさんが飛んでいて、まだ見ぬ土地へと向かっている途中だった。
女はなおも肌の色を褐色や白に変えながら面倒臭そうに言う。
「冗談だろ?それはお前が見た夢だよ」
それは確かなことだ。
おれが故郷でアルバイトをしていた頃はこの女みたいな女子校生のバイトが好きだったし、そのバイトは中国人の店長だとか劣性遺伝のハーフだとかと付き合っていた。
だからおれの入り込む余地など無かった。
その頃から世界に期待なんかしちゃいなかったのを思い出した。
「だから風船を持って屋上から飛んだんだ」
おれは律動を繰り返しながら呟く。
「それで?」
聞き逃さなかった女が会話を続ける。
「何も無いよ、ここには」
女が言う。
それはその通りだ。
おれは伽藍堂を出て振り向き、引き戸に鍵を打ち付けてから風船にコンドームを結びつけるとNew三鷹YORKの内出血をした痕に似た色の空に向けて放った。
テキサスブロンコは死んだ。
空飛ぶオランダ野郎も死んだ。
褐色女子校生も死んだ。
日本男児も死んだ。
もうすぐハピネスセンター行きのバスが出る時間だ。