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Re: 【短編小説】回転寿司

 男は死んだ。
 きっとイクラ軍艦のひと粒に、爆発性の何かが混ぜられたのだろう。
 とにかく、男は死んだ。
 俺たちはその血まみれの景色の中へと流れていく。
 死んだ男の連れ合いだろう、細身に似つかわしくない巨乳の女は、その谷間に醤油や米粒と涙を落としながら中トロの握りを唇で切って食べていた。
 俺たちも同じように、無心で寿司を食べる事にした。

 確かに、俺たちは浮き足立っていたかも知れない。地に足は着いていなかったかも知れない。
 回転寿司だ。
 興奮するのも仕方ない。
 俺は血まみれの寿司が流れていくのを見ながら思い出していた。
 そうだ、俺たちは回転寿司に来ている。
 

「次のロットの方たち、お待たせ致しました」
 感じの良い、だが旧型の仲居ロボに案内された。店内は十分な酸素と清掃が行き届いていて、教科書で見るような純和風の設えだった。
 東北民藝に似せた椅子に座ると、旧型の仲居ロボが
「それではシートベルトをお願いします」
 と言った。

 仲居ロボに言われた通り、俺たちは東北民藝型の椅子に腰掛けてシートベルトを装置した。
 ポーンと言う軽い電子音と共に頭上のランプが緑色に変わる。
 ロットと呼ばれた俺たち入店客の頭上にあるランプが全て緑色に変わると、東北民藝型の椅子がゆっくりと動き始めた。

 俺たちが座ったスツールは床と水平に、反時計周りにゆっくりと動いた。
 この回転寿司屋は展望フロアで、外の景色は時計周りに動いている。そのお陰で凄く早く動いている錯覚に陥る。
 外を見ていると酔ってしまうかも知れないと思い、俺は視線をカウンターに戻した。

 音もなく目の前を〆さばが流れていく。
 いや、正確には俺たちが〆さばの前を流れているのだが、感覚的には〆さばが俺たちの前を流れていったのだ。
 輸入品の白米はまるで銀色に輝いているかのようで、普段から食べつけている暗い虹色のコメとは全く違っていた。
 鯖も美しく妖艶な光を放っており、真空パックになっていない魚の美しさに身悶えしそうになった。

 だが今日は魚を見に来た訳ではない。
 寿司を食べに来たのだ。
 次の〆さばを前にしたタイミングで手を伸ばす。


 俺たちが流れている速度は思ったより速いのかも知れない、と感じるくらいギリギリで〆さばの皿に指が届いた。
 皿を手に取りカウンターに設置してあるハケを待つ。そのハケに寿司をかざすと、適量の醤油が塗られた。
 興奮で震える手の寿司を口に放り込むと、酢締めされた肉厚の鯖が口の中に広がり、膨らんだ頬が破裂するかと思った程だった。

 うまい。
 これが寿司なのか。

 全身に広がる寿司の旨味を感じながら、改めて店内を伺う。
 カウンターの中に存在る大将や弟子の職人たちは、俺たちが喰う速度を横目で見ながら寿司を握っていた。
 そしてその場でクルクルと回転しながら皿に寿司を置いていく。
 俺たちはそこにタイミングよく手を伸ばす。
 寿司とは、客と職人が生み出す総合芸術なのだ。

 適度なリズムでお茶を飲みながらガリをつまみ、口の中をスッキリさせる。
 本当ならビールや日本酒でも飲みたいところだが、さすがに酔いが回りそうなので止めておくのが良いだろう。
 格闘家は三半規管を鍛える為に、でんぐり返しを10回してからスパーリングをするとか聞いたことがあるが、果たして本当だろうか。

 丁寧な隠し包丁の入ったイカに流れつき、手を伸ばす。
 熟成されたイカは歯応えの奥にねっとりとした柔らかさがあり、臭みのないイカの味がハリケーンの様に鼻腔を揺さぶる。
 うまい。
 そして慣れてしまえばこっちのもので、回転寿司の楽しみ方もわかってきた。
 寿司を味わう余裕が、いまの俺にはある。

「そもそも回転寿司って言うのはね」
 ちょうど自分と反対側にあるスツールに座っている男が、連れ合いと思しき隣りのスツールに座っている女に蘊蓄を垂れようとしているのが聴こえてきた。
 馬鹿な奴だ、こんな所で回転寿司の知識を披露するなんて。

 男は何度か寿司を取り損ねながら喋っている。
「最初は、水のレーンに流していたんだよ。むかしは流れるプールと言うのがあってね、水流にのって遊ぶ事ができたんだ。
 そこに着想を得た寿司職人が、店のカウンターを取り払って、床に穴を掘った。丁度、ガソリンスタンドの溝みたいにね。
 そこへ水を流し込み、水流に乗せて寿司を提供したのが最初なんだよ」

 
 外国人観光客向けのガイドブックにだって今どきそんな事を書いてあったりしなさそうだが、むしろそう言う冗談じみた話の方がウケるのだろうか。
 男はまたも寿司を取り損ねた。
 連れ合いの女は上手いこと寿司を取って食べている。
 俺は熱い茶を飲みながらカウンターの中にいる大将や弟子の職人たちを伺った。
 彼らは相変わらず左右に回転しながら腕を伸ばし、机の上に寿司皿を置いている。
 男のせいで妙な緊張感が出ないかと心配したが、その必要は無さそうだった。

 幾つかの寿司を食べた連れ合いの色白痩身巨乳女は、その胸元にポツポツと落とした醤油を拭いながら訊いた。
「へぇ〜、じゃあどうして今みたいに私たちが回る事になったの?」
 ようやく寿司皿を取った男は自慢気な顔になると、得意になって答えた。
「あぁ、それはアレだよ、ここが高級店だからさ。本当の寿司は、回転させると空気に触れて劣化が早く進むんだ。だから寿司の代わりにぼくたちが回る、そうすると寿司は劣化しないからね」


 男はしたり顔でお茶を啜り、続けた。
「でも、寿司じゃなくてぼくたちが劣化しちゃったりしてね!君は仮に歳を取っても美しいと思うけど!アハハ!」
 男が高らかに笑った時、カウンターの中で寿司を握る大将の片眉が吊り上がり、それをみた弟子の職人たちが一斉に頷くのを、俺は見た。
 いまの会話のどこに地雷があったのか分からないが、何となくムカついたのは分かった。

 そうして大将がいくら軍艦に何かを仕込み、狙い通り蘊蓄男がそれを食べて死んだ。
 男が爆発四散して静かになった回転寿司店の血は、旧型の仲居ロボがあっという間に拭き取って綺麗になってしまった。
 その頃には色白痩身秘密隠れ巨乳の谷間にパタパタ醤油こぼし女も落ち着きを取り戻して、卵焼きなんぞを食べて笑っている。

 ふと見上げた窓の外に、巨大な青い惑星が浮かび上がる。
 寿司屋は素晴らしい。
 いつかはあそこにあると言う、本当の回転寿司を訪れてみたいと思う。

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にじむラ
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