Re: 【短編小説】きれいな水
誰かフィンガーボールを飲まないかな、そうしたら俺はそれで顔を洗うのに。
結婚式は退屈だ。
女どもは採点に忙しい。
採点、か。
昨夜、折角タダでホテルに泊まれるのだからと呼んだ女の子の名前が思い出せなかった。
顔も声も曖昧だが、なかなか楽しめた。何と言う名前だったかな?次に呼ぶ時に困る。
……次?次が無いから良いんだ。
照明が落とされた隙にこっそりとネクタイを緩めた。
グラスに満たされた水を飲むと、喉の形に沿って立体感を持って冷たいそれが流れていくのを感じた。
隣の席に座ったヨウタが顔を寄せてきたので耳を傾ける。
「冷房の効きが悪いな」
確かに式場は涼しさと暑さの境界線を行き来している。まるで病室だ。
「最近のブライダルサービス、室温がプランに入ってるらしいぜ。この時期でも運良く”お足元の悪い日”だったら冷房代ケチっても平気だけど」
おれが言うと、ヨウタはお手拭きで額を撫でた。
「やつら、外したって訳か。まぁ予約は何ヶ月も前からだからな」
南無三と言いながらヨウタは十字を切ると、卓上に並べられた食器と料理を見合わせながら曖昧に笑った。
「外側から、ってのは分かるんだが食い方がいまいち馴染みねぇ」
育ちとも言い切れない。
今どき、銀のカトラリーを揃えた家なんて珍しい部類だろう。もちろん、おれだって馴染みのない文化だ。
「カンニングしながら食うしか無いな」
だよな、と言ったヨウタは何となく周囲を見ながら料理に手をつけ始めた。
「そう言えばテツヤは結婚式って何回目?」
「まだだよ、予定も無い」
「そうじゃなくて」
ヨウタが笑ったので、とりあえずの冗談がウケた事に安心した。慣れない場は緊張して仕方ない。
「えぇとたぶん5回目かな。いや、そのうち1回は日付を間違えた」
「そんなもんだよな」
「なんだよ、予定でもあるのか?」
ズッ友なんてのは死語だろうが、なんとなく末代を意識し始めた頃だ。
ヨウタが先に結婚となると、いよいよ周回遅れかとうす暗い気持ちになった。
だがヨウタは力強く否定した。
「いや、無い。出席もそろそろ最後だろ」
別におれの気持ちを汲んだ訳じゃないだろうが、あまりの断定っぷりに少し笑ってしまった。
「そっか。まぁおれは友だち少ないからアレだけど、そっちは大学の後輩とかいるからまだあるんじゃねぇの?」
探りを入れるような会話になってしまったと思ったが、ヨウタは気にするでもなく
「どうだろうな」
と言った。
おれとヨウタが最内のナイフとフォークで卓上の食事を片付けたのを見計らっていたのか、腕にナプキンを掛けたボーイが追加のワインを注ぎに来たが手で追い払う。
「邪険にし過ぎたかな」
「いいだろ、別に。仕事だし」
「だな。煙草でも吸いに行こうぜ」
ヨウタが小さく頷いて立ち上がった。
ステージでは、新郎新婦の親戚が水芸を披露している。
馬鹿馬鹿しい。水芸は緊張と機材不調で病人の小便みたいな弱々しい勢いになっていた。
四畳半ほどの空間に、それぞれの広間から出てきた時代錯誤の上下だとか燕尾服が身を寄せ合うようにして立っている。
お互いが斜めに身を切りながらどうにか煙草を咥えていた。
おれが「海兵隊だな」と笑うと、ヨウタは「宜しくさぶらふ」と言いながら狭い喫煙所の扉を開けた。
喫煙所の中は他所の間で開かれている披露宴の愚痴ばかりだった。
「今どき引き出物がバウムクーヘンと食器って」
あー、わかる。持って帰るの面倒くさいよな。しかも新郎新婦の名前とか写真が入ってるやつな。
「馴れ初めビデオが長ぇ、しかも身内ネタだから俺たちわかんねぇし」
あー、わかる。素人の叩いたビデオほどつまらないものは無いよな。作った側は楽しいから温度差で会場が風邪引くよね。
「見た?あの嫁の勝ち誇ったドヤ顔。あれ来賓席の元カノに対してだぜ。でもあの感じだと元カノともまだ続いてんな」
あー、ある。ソフトランディングして欲しいよね。たぶん元カノも同じ顔してるよ、心の中で。
頷きまくっていたおれにヨウタが「そう言えばさ」と話を切り出した。ヨウタの前歯に挟まったヒラメのムニエルがいた。
「あいつ年収300ギリあるか無いか、とかだろ。どうやってこんな式挙げてんだ?」
おれだって同じことを疑問に思った。
「実家太いからな」
「しかも嫁さん、パパ活だかで知り合った企画物出演歴がある女らしいじゃねぇか」
喫煙所の男たちが耳をダンボにしている気配を感じた。
「まぁ単体物よりマシだろ。AV出演経験者なんて石を投げりゃ当たるぞ」
「まぁな」
付き合ってた女が何をしていたからなんて知る由も無い。ガルバ、地下アイドルあたりならまだ御の字だろう。
同級生の姉の友達が単体物AV女優なんてのはどこにだってある話だ。
早くに子どもを産んだ同級生は、娘の通うバレエスクールの先生が単体ものの女優だったと言う話をしていた。
昨夜の女の子だってそうだ。
そう言えば、昨夜の女の子の名前はわをんだったのを思い出した。
いろはにしようと思ったら、既にそう言う名前の先輩がいたらしい。
現代アート的なハリネズミみたいな灰皿に吸い殻を差し込み、股間にサーカステントを張ったダンボ達の隙間をすり抜けて喫煙所を出る。
後ろ暗くなった話の総括をしようと、ヨウタがどうにか
「でもまぁ、二人とも血統書付きの日本人だしな」
と言った。
「そうだな、俺たち雑種とは違う」
祝福されれば良いさ。
「綺麗な水が飲みたいな」
おれが伸びをしながら言うとヨウタは「会場に戻ればいくらでも飲めるぜ」と笑った。
「そうじゃない、あそこじゃ飲めないんだよ」
と笑ったが、たぶんヨウタには通じていないだろう。
おれにだって、どこで飲めるかは分からないんだ。