Re: 【小説】カジキマグロに乗って
休会中のジムで練習する夢を見た。
会費とかどうなってるんだっけ、まぁいいかと思いながらミットを叩いていた。きっとランニング中に会長と会って話をしたからだろう。
会長に「戻ってきてくださいよ」と言われるのは嬉しいけれど、一度でもライフサイクルと乖離し始めるとどうにも戻りづらい。
サンドバッグを蹴りたいのは山々なんだけれど。
他になんの夢を見たかと言われたらセックスする夢だとか今は亡き祖父母の家で煙草を吸いたいと思ってウロウロする夢だとかを見たと答える。
それは現実だが夢だ。
夢の中にある世界は俺の目覚めと共に終わる。短い世界だ。ひとつの世界が90分スパンで切り替わる。
おれの人生も90分スパンの夢かも知れない。
誰かが目覚めたら終わる。
君はすこし首を傾げておれのこんな話を聞いていた。
別に理解しなくたっていい。
そう言う概念があり、おれがそういう環世界で生きているのだと言うことがわかってくれれば。
だからおれたちの指に呪いの装備をつけて大型のバイクで遠出をしようと言うと、君は傾げていた首を真っ直ぐに戻して少し笑った。
「それは幸せそうですね」
あぁ、きっと幸せだろう。
雨が降ったらロードサイドのホテルに入って世界の終わりごっこをして眠る。
明日の仕事は有給を取ってしまえばいい。おれの代打はいる。自分が唯一の労働力だなんて言うのは妄想でしかない。
代替性の無い労働力はクソだ。
代替性のある存在になるために学校へ通って平均的な価値観を訓練するんだ。
それが社会と言う現実だ。
それでも指につけた呪いの装備は現実だろう。
いや、まだおれの指にも君の指にも何もない。つまりおれの妄想だ。その妄想で日々と言う苦痛を緩和したい。
おれは助からない。
お前もだ。
君はおれと一緒に助からないでいい。
指を出して。
弾く。
おれは頭を傾げる。
そのおれを見て君もまた頭を傾げる。
エア拳銃自殺と言っても誰も分からないが、指を拳銃型にして人差し指をコメカミに充てるだけの下らない架空自殺だ。
おれはそうやって何度も死ぬ。
誰だって一度はやった事があるだろう。
仮に一度もエア拳銃自殺をしたことが無いと言うのなら、そいつは健康と言う名前の病気だ。機会があれば医者にかかった方がいい、
その妄想の産物であるエア拳銃は最悪なおれを撃ち抜く。
現実であるところの最悪なおれは妄想の中で死んで、現実であるところのおれは少しだけマシな存在になったと自己暗示をかける。
そうでもしないと生きていけない。
妄想は現実にならない。
つまり俺のおれは拳銃にはなりえない。
だからおれがその人差し指でおれの脳みそや他人を撃ち抜いたところで実際におれも他人も死んだりはしない。
君を殺すこともできない、
単なる妄想だからだ。
クラクションを鳴らしながらおれを追い越した車やバイクが撃たれて横転することも無い。
全ておれの妄想だからだ。
全てが夢なら醒めれば終わる。
だが妄想は死ぬまで終わらない。人生そのものだ。現実と同じ。
誰だってやる妄想、学校やバイト先にテロリストが侵入してくるアレだ。
おれのそれはヒーロー願望的なものと言うより、ムカつく同級生や雇用主が死なないかなと言うネガティブな思いからだ。
もちろん学校も会社も重要な拠点でもないし政治的な陰謀に関わっている訳でもないのだから母校やバイト先にテロリストが来ることは無い。
不審者もやってこない。強盗や窃盗犯も来ない。
おれが高校生の頃に、生徒会長は東急ハンズで万引きをして捕まったらしい。
だが揉み消しに成功したらしい。さすがボンボンの通う学校だ。
しかし現実や人生が妄想であるならば万引きと言うかその窃盗も逮捕も揉み消しも現実で、妄想はなにひとつ存在しないという事にもなる。
万引きしたと言う噂の流行りのスニーカーを履いて壇上で何かを叫んでいる生徒会長はパフォーマーだなと思う。
おそらく体育館の床に座って聞いている生徒の9割がそう思っているだろう。
つまらない。
パフォーマンスは現実そのものだ。
カジキマグロがゆっくりと泳いで生徒会長の頭蓋骨を貫く妄想をする。
生徒会長はカジキマグロの鋭い鼻に貫かれて絶命する。座っている生徒の半数くらいは気づきもしない。昨晩にみたテレビ番組の話に夢中だからだ。
もうやめだ。
妄想の範囲を体育館から広げなきゃならない。
春先に八王子あたりで巨大な濡れタオルを振り回して花粉を拭き取りながら杉林を焼き払い、東京ドームくらいの大きさがある除湿剤を置いて快適な夏にする。
かつて東京の内山の手を巨大なドーム状にする計画が実際にあったと聞いたことがある。中銀カプセルタワービルよりも格好いい内山手ドーム。それは巨大な九龍みたいなものかも知れない。
そういうのはみんな大好きだろう。おれも大好きだ。
けれどそれは誰かの夢だ。
おれの妄想じゃない。
そして現実はこうだ。
おれはいま俺はバスの中にいる。
ハルクホーガンの様な髭を顎下まで伸ばした男が、クロコダイルダンディーの様な刃物を持って細い廊下を徘徊していたんだ。
それは現実だ。妄想じゃない。
ニューヨークのバスターミナルでそいつを見かけたが同じバスに乗っていたとは思わなかった。
実際にそんな奴がバスジャックした場合におれは何の抵抗もできない。
人差し指でそいつを撃ち抜いたって何にもならない。
きっと指が切り落とされて終わりだ。
それは妄想の終わりだ。
だが現実はこうだ。
おれが眠っている最中に全て終わった。
バスジャックは未遂になったし、おれの短い夢の世界も消えてなくなった。
終わりにしよう。
妄想の世界が狭い。おれはおれの狭い環世界からも出られない。
おれはカジキマグロに乗ったりしないし東急ハンズで万引きもしない。
誰も死んだりしないように願いをかける。
星に願いを。
君に精子を。
指に呪いを。
コメカミに弾丸を。