Re: 【短編小説】デスティーノ光ランド
『登山に行きませんか』
スマホにポップアップ通知が出た。
拳太郎はそれを無視した。そろそろ友達ヅラも終わりにしなきゃならない。
拳太郎にできることは全部やったし、それでも蹴鞠太郎は社会に馴染むことができなかった。
もしそれが喫茶マウンテンの事であったり、ビッグサンダーマウンテンの事であるなら、やはり社会に馴染めていない。
冗談とは関係性に於ける摩擦と信頼の副産物だからだ。
かく言う拳太郎も、むかし「ソープランドに行こうぜ」と言って電話を切られたなと言うことを思い出していた。
それも元旦の朝だったから仕方ないと今になって分かる。
そこまでの関係性を構築できていなかったのだ。
なんらかの比喩として、しかし前フリも何もなく「登山に行きませんか」と言う友だちは気が狂ってるから一緒に行くのは面倒くさい。
誰だって断るだろう。
だから自分は悪くないと拳太郎は思っている。
ただ、元旦の朝から「ソープランドに行こうぜ」って友だちに言う自分も気が狂っている自覚は持ち合わせている。
気狂い友だちになれるかも知れないけど、どちらも恥ずかしいのだから終わりにした方が良い。
拳太郎はソファに浅く腰掛け直した。
片付けの進まない部屋は、まるで生活感そのものが停止してしまったみたいに見える。
部屋なんか片付けなくたって困らない。
誰も部屋には来ない。拳太郎には友だちがいない。蹴鞠太郎と同じだ。
誰も孤独な人間のことなんか気にかけない。
ほかの誰かにどう見られているか気にするなんて、自意識過剰と言うものだ。
拳太郎は生活感の停止した机に置かれたスマートフォンを手に取ると、
『登山じゃなくて月の見える丘ならいいですよ、茂みの奥へと進んでいきましょう』
と返事をした。
きっと蹴鞠太郎はなんのことか分からないだろうから、『説明するとソープランドです』と送った。
駅前交番のお巡りさんに職務質問を受けている蹴鞠太郎を見て、拳太郎は現地集合にしておいてよかったと思った。
蹴鞠太郎はカバンの中からバイブとかスクール水着だとかを出して説明している。
適当なタイミングで蹴鞠太郎に声をかけた拳太郎は、山手線みたいに循環輸送するアルファードに乗り込んだ。
アルファードの中で黙り込む男たちを見て、拳太郎は現場に向かうハイエースに乗っているみたいだと思った。
ここは子宮に向かう卵管だ。
拳太郎たちは卵子と言う希望に向かう精子、つまり祈りそのもので、そして拳太郎たちと言う祈りの殆どは叶えられる事が無い。
叶えられた祈りは美しいのかも知れないが、拳太郎たちはその下にある涙に過ぎない。
涙は美しさを見ることさえできない。涙は美しさを演出する為の闇でしかない。
誰かが丘の上から見る夜景に似ている。
拳太郎は自分でも何を考えているのか分からなくなってきたので、スマホを開いて予約した嬢の写メ日記を見ることにした。
写メ日記に記載されることは男たちの救いになるのだろうか。
拳太郎たちは叶えられた祈りにはなれない。
なれないから女に金を払うのだ。
その為に拳太郎たちは労働だとか日常だとかの中に埋没していく。
金で買う女との120分は短い人生に於ける一粒の光かも知れないが、自分でそれを見ることはできない。
交差点にさしかかったアルファードが停まる。信号はいつだって正確だ。
窓の外でホームレスが飲食店の廃棄を持ち去る。
ゴミ捨て場だとか集積所だとかで腰を屈めて拾う落ち穂はもしかしたら自分かも知れないし、拳太郎も拾われたら救われたりしたいのかも知れない。
それは楽観的だと言う自覚もある。
拳太郎が伸ばしかけた手は窓ガラスに当たる。アルファードが走り出して景色が流れていく。
拳太郎たちは店に運ばれた。
光の中に吸い込まれていく。
蹴鞠太郎が何か言って笑っていたけれど、拳太郎には何も分からなかった。
光が並び、光が笑う。
男たちは息耐える。
ハイエースやアルファードの中で。
景色は流れていく。
拳太郎はゆっくりと目を閉じて、光を追い出して束の間の眠りへ潜っていく。
拳太郎たちが光を眺める時すでに、拳太郎たちは叶えられた祈りになっているのだ。
ディズニーランドやソープランドで過ごす時間の最中にいる様に、自身を省みることなどできるはずがない。
光と階段を登る。