一本のフィルムも残さなかった「映画監督」、ベンガル・サトウ。
ベンガル・サトウの告別式に集まったメンバーは実に多彩だった。かれが目のなかに入れても痛くないほど愛した元イケメンのインド料理人がいる。その奥様がいる。(サトウさんは彼女を野鴨のように愛でた。)告別式にはふだんはおかあさん業をやっているものの、実は奔放な抽象画を描く画家がいる。『家族八景』の七瀬嬢みたいな、どんな環境にも自然に馴染んでしまう女性がいる。週末にコドモたちのためにヒーローショウをやっているインド料理マニアがいる。波乱万丈な人生をけなげに生き、過去にたくさんの短編小説的経験を持っていながら、しかし、まだ一度も小説を書いたことのない女性がいる。たとえ真夏の真昼だろうとしかし彼女のまわりだけは真夜中な、翳りあるフランスふうのポストパンク~エレクトロニカの女性歌手がいる。イタリアンヴォーグみたいな顔立ちで、ちょっぴりシュルレアリスティックな詩と、音大育ちの教養を感じさせながらも独創的な曲を書く作曲家兼音楽家兼歌手の女性がいる。ロン毛男の映像作家がいる。食いしん坊の気のいい元警察官がいる。いまは神戸で自作のバイミンミーをバンで移動販売している女性料理人もさぞやこの場に来たかったでしょう。ぼくがお会いしたいとおもっていた京大卒の薔薇を愛するおじいさんは残念ながらすでに亡くなっていたけれど、しかしそのかわり奥様がいらっしゃっていた。(かれのお孫さんであるところのお嬢さんはハーバードを出て、建築家をやってらっしゃるそうな。)もしもベンガル・サトウがいなかったなら決して揃うことのない異色の顔ぶれだ。それでいてそんな畑違いの人々同士がここでは自然にしたしく話しはじめる。みんなベンガル・サトウのことを大好きだから。
北九州のインド料理人からは(番長の愛称に似合わない?)センチメンタルでラヴリーな弔電が届いた。フォアグラ自慢のフランス料理の料理人からも弔電が届いた。
2023年11月10日、金曜日朝10時半、コムウェルホール高円寺3階。ステージにはいくつもの花輪が飾られている。中央には棺が置かれている。祭官による神事がおこなわれる。日本古来の神道式の厳かな儀式であり、霊界との交信がなされる。
弔辞はインド料理・桃の実の瀬島さんが読んだ。かれはサトウさんのおもいでを話しはじめるものの感極まって言葉が途切れ、また話しはじめるとおもいあまって言葉が止まり、太い声は震え、膝さえもぐらつき、話は行きつ戻りつしてしまう。かれは元イケメンの瀬島シェフというよりも、いまは富山の純朴な男だった。かれの背中が泣いている。
瀬島さんの気持ちがぼくらにはよくわかる。おもえばかれのインド料理人としてのキャリアのはじまりは、ベンガル・サトウの完全招待制食事会におけるサトウさんの二番手だった。(インド、ケーララ州の一流ホテルグループの厨房での修行、ケララの風第一期での雇われ料理長としての三年間、そしてオウナー・シェフとしての桃の実での十年間・・・それらはすべてサトウさんの私的食事会での活躍の後のことである。)しかも瀬島さんとやがて奥様になる女性との恋愛も、サトウさんの私的食事会で生まれた。ふたりの結婚式でサトウさんは、かれらの愛の芽生えと発展を『ハチミツとクローバー』に喩えたものだ。サトウさんは言いたかったでしょう、「人が恋に落ちる瞬間をはじめて見てしまった。」サトウさんのこの純情可憐な祝辞をぼくは懐かしむ。ベンガル・サトウは瀬島さんを、野球界に喩えるならばイチローや野茂に匹敵する料理人であると目していた。
この日ぼくは十年ぶりにベンガル・サトウと再会した。まさかこんな再会になるなんておもいもしなかった。人生の残酷をおもわずにはいられない。棺のなかのベンガル・サトウはずいぶんと痩せ、頬骨を際立たせ、静かにまぶたを閉じ、長身の体を横たえていた。生きていた頃のかれはいたずらっぽい笑顔が似合っていた癖に、はやばやと聖人になってしまったみたいな佇まいだ。かれに寄り添うように、アメリカの女優ニコール・キッドマンの映画ポスターが入れられていた。葬儀に集まった喪服姿のぼくらはそれぞれ白に紫が混じった蘭の花を、棺のなかへ入れてゆく。
おもえばベンガル・サトウは11月4日そうそう心臓が止まり、呼吸がなくなり、瞳孔が開いた。それでもまだ6日後のきょう、かれの体はここにあって、ニコール・キッドマンのポスターとともに蘭の花に埋もれ箱のなかに横たわっている。いまその箱は蓋を閉められ、親族そしてぼくら友人たちの手で抱えられ、後部に長い荷室を持つ黒塗りの車に乗せられ、近くの堀ノ内斎場へ運ばれる。参列者のぼくらもまた斎場へ向かう。11時半。斎場では神事がおこなわれ、ぼくらはそれを見守る。その後、ベンガル・サトウの肉体を入れた棺は台車に乗せられ、棺はレールの上で滑車によってすべらかに、銀の扉の向こう側へ消える。
やがて戻ってきたのは、乾いた白い骨の集合だった。白い骨たちはほのかに淡く薄いピンク色に彩られている。その理由は、お洒落だったベンガル・サトウが死出の旅にあたって身に着けたアルマーニのジャケットの金属製のボタンが燃焼反応を起こしたせいだろう。残された骨たちもまたチャーミングだ。
こうして秋の曇り空の高円寺の昼過ぎ、ベンガル・サトウの肉体は完全に消滅し、他方、喪服姿のぼくらはこの世界、モラルが崩壊し全面戦争が止むことがなく、かつまたカネと肩書に縛られた、きわめて不安定でカオスな世界に取り残される。カラスの群れのように。
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告別式の会場の脇には、かれが長年愛用したステンレス製のスパイスボックスが飾られていた。桃の実の瀬島シェフはぼくに解説してくれる。「まずね、ブラックペッパー(粒)ですよ、サトウさんのレシピがまた厳密で、このカレーには17粒とか書いてあるんですよ。そしてアジョワン、メティ(=フェヌグリーク)、クミンシード、キャラウェイ、乾燥赤とうがらし、マスタードシード、そしてね、この海塩、”粟国の塩(あぐにのしお)”っていう沖縄のもので、260gで800円とかするんですよ。めちゃめちゃ高いでしょ、絶対レストランじゃ使えない。でもね、この”粟国の塩”を使わなくちゃ、サトウさんの風味にはならないんですよ。」
ベンガル・サトウが長年使っていた大判の黒い能率手帳も、ざっと二十年ぶん約二十冊ほど飾られていた。どのページにも几帳面な小さな文字で、その日の服装(LLビーンが多かった)、出来事、マンションの大家さんとしての業務、観た映画、週末の食事会の日にはふるまった料理名、招いた人たちのハンドルネームがすべて記載されていた。告別式に集まった誰もがかれの几帳面さに驚いた。ぼくらはおもいおもいにページをめくり、自分の名前を探したり、その日の食事会で食べた料理名を読み、他の参加者の名前を見て懐かしんだ。
お別れの食事会でやすのさんは微笑んで言った、「わたし何度もサトウさんに言ったんですよ、スージーさんと会えばいいのに、って。 そしたらね、サトウさんは本当にうれしそうに笑いながら言うの、”ぼくはスージーブログの一番の読者だとおもいますけどね。そしてまたスージーさんは実におもしろい人だし興味は尽きませんけどね、しかし、スージーさんはちょっと離れたところから眺めてるのが一番なんですよ。”」ベンガル・サトウのいたずらっぽい笑顔が目に浮かぶ。しかもぼくは告別式で何人もの見知らぬ人から挨拶されたものだ、「スージーさんですね、はじめまして、サトウさんからたびたびお話はうかがっています。」どうやらベンガル・サトウはここ十年来ぼくに会う気はなかった癖に、しかしかれは食事会で年中ぼくの話ばっかりしてきたようだった。かれのなかのぼくはフリーランスの化け物で、霊力をそなえた異能のもの書き、さらには近年は「西葛西の主(ぬし)」にさえもなっているようだった。もちろんこういうホラ話が広まるとまたぞろぼくはインド料理マニアの一部から反感を買うだろうこと必須なのだけれど、しかし、そうやってぼくの話題を盛って盛って楽しむ、そんなベンガル・サトウがなんとも懐かしかった。考えてみれば、ぼくだって語り部として書き手としてベンガル・サトウをはじめいろんな仲間たちに対して似たようなことをやってきたのだもの。そういう意味でだけは、ぼくらはいくらか同類だった。
ぼくはサトウさんの妹aquaさんのそのご主人に言った、「サトウさんは映画好きでしたね。」
かれは笑って言った、「かれが人生最後に観た映画は『フェノミナ』ですよ。昆虫と交信できる少女が連続殺人事件に巻き込まれていくホラー映画ですわ。もっともね、あれはぼくのコドモたちに見せて、コドモたちの反応を見て楽しみたかったのでしょう。ぼく、かれのそういうとこも好きなんですよ。だって、ああいう時期にへんに文芸大作とか見られたらこっちも気が滅入りますもんね。あ、そうそう、あのニコール・キッドマンのポスターはかれの部屋に貼ってあったものですわ。」
お別れの食事会では、和食のお弁当とお吸い物がふるまわれた。さまざまな料理が目に愛らしく構成され、味わいははかなく清楚に優しかった。訊けばベンガル・サトウは最後の日々に、一方でタンパク質摂取の重要性をおもい、フランス料理スタイルで肉を焼き、ソースをそえて仕上げ食べもすれば、他方で(意外にも)出汁を引き、和食を作って食べもしたそうな。あるいはサトウさんはコドモ時代を懐かしんでいたかしらん。
妹のaquaさんがサトウさんの最後の日々を声をつまらせながら会場の全員に語った。3月頃から体調を崩し、8月末膵臓に病があることが見つかって闘病生活がはじまる。あれだけ食べることが大好きだったサトウさんが最後の最後には果物しか食べられなくなった。サトウさんのこの時期はずっと家族とともにあった。サトウさんは彼女と彼女の夫、そしてかれらのふたりの息子たちのことが大好きだった。そして11月4日午前2時32分、かれは命を引き取った。
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これまでぼくはかれのことをマンションのオウナー兼大家さん、そしてプロよりうまいアマチュアインド料理人だとばかりおもっていた。それはたしかにまったくそのとおりではあるけれど。
しかし、ぼくはいま気づく。実はベンガル・サトウはもうひとつの顔を持っていた。喩えるならばかれはいわば映画監督兼キャスティング・ダイレクター兼演出家で、かれの完全招待制食事会はかれの監督する「映画」だった。
なるほど、ベンガル・サトウは美女たちを花のように眺めることが好きだった。けれども、美女たちだけでは映画にならない。イケメンも、魅力たっぷりの敵役も、おっちょこちょいのあわてんぼさんも、食いしん坊の警察官も、味のある愉快な薔薇好きのおじいさんもいてはじめて映画になる。おそらくベンガル・サトウ監督の食事会でかつてかれがぼくに振った役は、陽気なコメディアンだったろう。
招かれたぼくらは誰ひとりそんなベンガル・サトウの作家精神に気づきもせずに、ただひたすらサトウさんの作るインド料理をおいしがり、みんなおもう存分自分自身であることを楽しんだ、ベンガル・サトウの世界のなかで。ベンガル・サトウはもういない。残されたぼくらはただかれが撮った「映画」を記憶のなかで上映する。かれが撮った「映画」のなかのぼくらは、 ふだん の ぼくらよりもずっと魅力が増している。
イラストレーション:いずみ
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