帰って来た『下妻物語』ロリータ魂とはどういうもの? 嶽本野ばらさんについて。
ロリータ・ファッションに身を包む声なき民を励まし肯定し、負けずに生きてゆけるための言葉をプレゼントすること、自分もまた(半ば)声なき民の一員として。それが嶽本野ばら(たけもと・のばら)さんの人生ではないかしら。
ロリータ・ファッションとはなんでしょう? ロココ朝ヴィクトリア朝時代の影響を受け、パニエ・ペティコートでスカートを花のように演出し、上等なレースを多用し、リボン大好き、タイツ、そしてエナメルのフラットシューズ、ざっとそんなイメージでしょうか。獄本野ばらさんによるとロリータたる彼女たちは「ファンタジーを生きる」人たちです。なお、ご存じのとおり白系でまとめる白ロリ、黒系に装う黒ロリその他、細分化されています。なるほど、日本の現実から遊離しまくっているからこそファンタジーではあって。
もう少していねいに語りましょう。(1)まず最初に、ルッキズムっていう概念が欺瞞です。(2)次に、ロマンティシズムには〈ぶさいくな現実を否定して、美の王国を妄想し、美の王国に生きる〉という激烈な人生観を孕んでいて。結果、ロマンティストは現実と衝突し、(たとえパンクロックを心のよりどころにしようとも)どんどん孤独になってゆきます。(3)なお、ここで興味深い第三項が〈乙女〉です。乙女もまたロマンティストですが、おそらく嶽本野ばらさんの唯一の希望は、乙女には乙女同志に連帯と友愛がありえる、という期待ではないかしらん。
とうぜんこの構図のなかで、最大の敵は社会の権力構造のなかでわがもの顔にふるまい反省もないままにおもう存分パワハラを行使するオヤジになるでしょう。
嶽本野ばらさんの世界観におけるオヤジの扱いがぼくにはとても興味深い。
先日神保町の東京堂を覗いたら、「乙女のカリスマ」嶽本野ばらさん(b.1968年ー)のファッションブランドについてのエッセイ集『ロリータ・ファッション』(国書刊行会 2024年刊)と雑誌『ユリイカ 嶽本野ばら特集号』(2024年5月号青土社刊 )が並んで平積みされていた。『ユリイカ』の中ページには野ばらさんをモデルにした、rurumu(縷縷夢兎)の東佳苗さんによる、数々の骨董品が飾られた耽美な部屋に佇む野ばらさんのセットアップ・カラーグラビアつき。また、巻末に主要作品解説と野ばらさんご自身による10ページにわたる年譜つきです。
獄本野ばらさんと言えば、ロリータファッションを愛し、女性装で生きるヘテロのエッセイストであり、小説家です。映画『下妻物語』(2004年公開)は、ロリータ少女とヤンキー少女の友情を描き日本はもちろんフランスその他でも大ヒット、カンヌjr映画祭ではグランプリを獲ったもの。(日本国外でのタイトルは”Kamikaze Girls")、なお、『下妻物語』は2024年7月19日~(フィルムからデジタル化されて)渋谷PARCOシネクイントそのほかでリバイバル上映が決まっています。
また、かれの2006年の作品『ハピネス』は、映画化され、ただいま上映中です。もっとも、東京都民のぼくはざんねんながらこの映画を見逃した。なお、そんなぼくも原作小説だけは小学館文庫版で読んでいて、ベッタベタなメロドラマながら、ただしメロドラマとしての完成度がひじょうに高い。しかもヒロインの少女がどんなことにしあわせを感じているのかもありありとわかる。しかも、服はもちろんのこと暮らし(行動)のディティールがていねいに書き込まれているためリアリティがある。野ばらさんの作家としての資質と才知が伺えます。
嶽本野ばらさんのご著書『ロリータ・ファッション』は、デザイナー大川ひとみさん率いるMILK、大西厚樹さんのATUKI ONISHI、ひいてはMelody BasKet、そしてBaby,THE STARS SHINE BRIGHT を讃美し、はたまたゴシックロリータとしてalice auaa を讃え、かつまた著者はロリータファッションとは一線を画しながらも、PINKHOUSEの田園詩とそこにひそむペローの童話の残酷性を嗅ぎ取り讃美します。
著者は1980年代の雑誌『Olive』を愛し、その文体にいまなお愛着を持っておられます。また、著者はロリータに乙女の世界を見出し、吉屋信子の少女小説や、中原淳一のイラストレーションに繋げてみせもします。そしてまた著者にとってはロリータファッションはひとつの生き方なんですね。たとえおばあさんになろうが乙女の心を持つ女性を著者は讃美します。じっさいかれ自身ヘテロおじさんでありながらともすれば広義のロリータファッションに身を包んで暮らしておられます。また、著者はロリータとパンクの親和性も指摘しておられます。Viviane Westwood への賞讃とともに。
もっとも、この本はけっしてロリータ・ファッションのみを扱っているわけではなく、ハイブランドについてのエッセイもたくさん収録されています。息を飲む読みどころは、著者は長いことCOMME des GARÇONSを愛してきたものの、しかし、自社内ブランドBLACKを立ち上げ、ロゴ入りの白いソックスなど売り出すようになって一転して深く軽蔑するに至ります。
ぼくのいつもの女友達は言った、「COMME des GARÇONSもまたモードなゴスロリですね。kei ninomiyaなんてめちゃめちゃ技巧的で過剰なゴスロリパンクですね。パンク精神を持ちながら、同時にある時期からビジネスをも積極的に追求してこられた川久保さんに、嶽本さんが反発なさるのお気持ちもわかりますが、でも、川久保さんは大家族(営利企業)のお母さんなんですもの。」
また嶽本野ばらさんは、YOHJI YAMAMOTOのリネンの時代を愛しつつも、近年の流れにはさほど共感を寄せず、粗雑を見ます。かれはヨージ・ヤマモトが文化服装学院時代、縫製の宿題を友達にやらせてたことに粗雑さの正体に触れた気がしますとまで言ってのける。もっとも、著者はそんなヨージ・ヤマモトのジェットコースター人生、そして熱狂的なファンを抱えていることに対する公平な評価をも忘れません。
また、著者は一方でDries Van Noten
だけがつねに流行の方向を把握していると賞讃し、なぜかれにそれができるかと言えば、かれが愛するパートナーと暮らし、ガーデニングを趣味として、植物が育ちつぼみをつけ花開きやがて花を散らす光景をつねに見ているからだ、と推理します。
他方、かれは Louis Vuitton の1997年以降を深く軽蔑します。マーク・ジェイコブズ、ニコラ・ジェスキエール、キム・ジョーンズ、ヴァージル・アブローを著者は評価しません。(このエッセイが書かれた後にメンズのデザイナーに就任したファレルに至っては、著者の審美眼にとってはもっての他であるでしょう)、なぜって著者は「スウェットにつかっけみたいなヤンキーの美学を厭う」から。
いやぁ、嶽本野ばらさん、なんて稀有な異端の耽美派文学者でしょう。この人もまたジェットコースター人生を生きておられる人。これからも健筆をふるっていただきたいとおもわずにはいられません。