熱燗、棒鱈、そして蕎麦。

大晦日には3日はやいけれど、ちょっと会って一緒に年越し蕎麦でも食べようか。ってことでいつもの女友達と夕方神保町で落ち合った。神保町はたとえばすずらん通りにあっては二階建ての家々を基調としながら、その周辺に中低層の小規模なビルが林立する風景である。もっとも近年はタワーマンションもちらほら建ちはじめたけれど。それでも神保町~神田にかけては、関東大震災後の東京の風景がいまなおほどほどに保存されているのではないかしらん。


ぼくらは美術系の古本屋など覗きつつ散策し、靖国通りを歩き(かつて路面電車が通っていた光景など想像しながら)、やがて彼女に導かれるままに神田まつやの行列の末尾についた。お店は木造瓦屋根の二階建て、二階の左右に大きな提灯。いかにもむかしの大工が建てた家(お店)で、ちょっとした木の装飾の職人仕事も懐かしい。店内は満席で、店のたたずまいもあいまって、まるで小津安二郎映画のワン・シーンのようだ。余談ながら、伝統的には日本では大工が家を建て、左官屋が床、壁、天井を仕上げたもの。ところが1970年あたりから大工が建てる日本建築の需要がどんどん減っていって、かれらはやむなくコンクリを流し込む型枠大工そのほかに転業していった。さぞや無念だったことでしょう。しかし、背に腹は代えられません。こうしていまや日本建築の伝統は風前の灯である。なんてもったいないことでしょう。


さて、ぼくらはまず熱燗1合×2本と棒鱈を注文した。ふたり仲良くさしつさされつしながら、かわいいおちょこで日本酒をあけて棒鱈をつまむのである。鱈は深い昏色に染まり、稠密な肉質に酒と味醂の味わいを染みわたらせ、いかにも酒好きをよろこばせる味わいだ。おもえば棒鱈は、鱈を寒風に吹かせて凍らせてかちんかちんにしたもの、そして食するにあたっては水に数日漬けて柔らかく戻し、酒や味醂、砂糖少々と煮込むかしらん。(ボルドー~チリ系の赤ワインで煮込むのもおいしそう!)同じく鱈を食べるにしても、しかしフィレオ・フィッシュやフィッシュ&チップスとはえらい違いである。もちろん棒鱈にこそ鱈愛がある。


ぼくらは日本人の癖に日本を懐かしんでいる。おまえはラフカディオ・ハーンのつもりかよ! と自分で自分にツッコミを入れながら。もっとも、おもえば小津安二郎だって実はモダンな人でハリウッド映画の技法からモホリ・ナジまでを自家薬籠中にしつつ、日本の庶民の家族のさまざまなシーンを映画に仕立てていたものだ。いや、この例はちょっと話が違うか? そんなこんなの感慨にひたりながら、やがてぼくらは笊蕎麦をたぐった。


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