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官能は五感をよろこばせるゆえ大事にする。しかし、われを忘れて陶酔するのだけはごめんだ。三島由紀夫の美学、『貴顕』(1957)
短編集『真夏の死』に収録されているこの作品のなかで三島由紀夫は、練磨された趣味をそなえた美術鑑賞家で猫を愛する美少年の短い生涯を、尊くかけがえのないものとして描き出しています。かれは少年時代から「陶酔的な生や外界の事物に対するある疎遠な感じを抱いていたらしくおもわれる。」ただし、だからと言って「熱狂から遠ざかって、冷笑や皮肉を投げかける気質の人だったというのではない。かれには生まれながらの、やさしい、穏やかな無関心があった。」かれは知的なものを怖れていた、知的陶酔を遠ざけたい
『サド侯爵夫人』は、三島の瑤子夫人への敗北宣言だ。~3人の女に操られ翻弄された三島由紀夫。祖母なつに、母・ |倭文重《しずえ》に、妻・瑤子に。
1958年、三島由紀夫は33歳で、13歳年下で20歳のお嬢さん・瑤子さんと見合い結婚した。なぜ三島はきわめてゲイ寄りのバイでありながら、結婚しただろう? 一般的に説明されるのは、この時期、母の倭文重さんが癌だったゆえ、彼女をよろこばせるために結婚した、と説明されます。倭文重さん自身もそのように理解しておられます。なお、彼女の癌は誤診だったことがわかるのですが。 しかしながらぼくはおもう、三島は家庭を持つことで世間体を保ちながら、他方でおもう存分ゲイ・ライフを楽しみたいという
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