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現代は、どんな過去の思考の覇権争いによって出来ているだろう? そして未来は? そんなこ…

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現代は、どんな過去の思考の覇権争いによって出来ているだろう? そして未来は? そんなことを考えながら、飲み喰いしたり散歩したり、本を読んだり映画を観たり、音楽を聴いたりしています。 julliassuzzy.tokyo@gmail.com

記事一覧

三島由紀夫への扉を開く。

わたしは凶ごとを待っている 吉報は凶報だった きょうも轢死人の額は黒く わが血はどす黒く凍結した……。 『凶ごと』部分。 (三島由紀夫『十五歳詩集』より) 誰だって…

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20時間前
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平岡家三代の蔵書。(三島由紀夫はどんな本を読んでいたか?)

どんな作家とて最初は読者からはじまり、作家になった後もたいていは生涯本を読み続けるもの。三島読者ならば、いったい三島がどんな本を読んだのか、関心を持たずにはいら…

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2日前
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焼け跡とゲイ・バー。

「悠一は見分がひろまるにつれ、この世界の広大さに驚いた。」『禁色』 三島由紀夫は東京大学法学部を卒業し、大蔵省に9カ月勤めたものの辞めて、専業作家になる決意とと…

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5日前
28

戦争とロマンティシズム。

「わたしの十代は戦争にはじまり、戦争に終わった。」三島由紀夫 公威くんは1925年に生まれた。3歳が張作霖爆殺事件、6歳が満州事変の年である。(大日本帝国はソヴィエ…

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8日前
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三島由紀夫はこの世界に絶望し、人間一般を軽蔑し、呪っていた。『美しい星』

この作品は1962年に書かれたもので、地球を滅亡から救おうとする宇宙人一家の話です。家族がある夏、空飛ぶ円盤と交感し、自分たちがそれぞれ別の星から飛来した宇宙人であ…

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9日前
16

官能は五感をよろこばせるゆえ大事にする。しかし、われを忘れて陶酔するのだけはごめんだ。三島由紀夫の美学、『貴顕』(1957)

短編集『真夏の死』に収録されているこの作品のなかで三島由紀夫は、練磨された趣味をそなえた美術鑑賞家で猫を愛する美少年の短い生涯を、尊くかけがえのないものとして描…

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11日前
17

一番賢明なのは、事情がそれに値するときだけ狂人になることだ。

これはジャン・コクトーが著書『阿片』(1930)のなかで書いた言葉で、三島はこれをぼくの愛する短篇『ラディゲの死』(1953)の末尾に引用しています。 ラディゲがチフス…

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13日前
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美しい嘘。貴族の末裔であると偽る三島由紀夫『花ざかりの森』

三島由紀夫が天才と称されるようになったきっかけは、一流の詩をものする(一見文学的天分に恵まれた良い子の詩集のように見えながらも、しかしほのかに変態的ファンタズム…

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2週間前
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なぜたいていの妻は、結婚3年めで夫のことをバカボンのパパとおもうようになるのか?

結婚が(ざんねんながら)恋愛が少しづつ死に向かうことであることはほぼ避けがたい。コドモでもさずかれば育児という大仕事が降りかかるゆえ、さいわい恋愛どころの騒ぎで…

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2週間前
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『サド侯爵夫人』は、三島の瑤子夫人への敗北宣言だ。~3人の女に操られ翻弄された三島由紀夫。祖母なつに、母・ |倭文重《しず…

1958年、三島由紀夫は33歳で、13歳年下で20歳のお嬢さん・瑤子さんと見合い結婚した。なぜ三島はきわめてゲイ寄りのバイでありながら、結婚しただろう? 一般的に説明され…

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2週間前
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三島由紀夫は恋愛を怖れている。

この人は天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの。(三島由紀夫『詩を書く少年』) 三島由紀夫の『鏡子の家』(1959)は不思議な小説だ。世に〈恋愛小説〉という…

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2週間前
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戦後三島由紀夫は精神の危機を迎えた。『金閣寺』『鏡子の家』

三島は大東亜戦争の渦中に育った。いつ死ぬかわからない恐怖とともにある日常のなか、灯火管制のなか詩を書き、ラディゲを読みふけり、美を追い求め、死ぬまえになんとか一…

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2週間前
16

小説家養成エリート教育をほどこされた三島由紀夫は、なぜ、観念の外へ出られなかったの?

まず最初に〈人を小説家に育てる教育なんてありえるの?〉という話から始めましょう。むかしもいまもさんざん口にされてきた疑問です。なるほど、いまでは大学にクリエイテ…

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2週間前
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三島由紀夫について書いてはいけない事実を書いてしまった男。福島次郎の哀しい純情。

三島がゲイ寄りのバイだったことは、誰もが知ることでしょう。ところが日本ではこれについて正面切って発言することはむかしもいまもタブーです。近年LGBRQの時代になった…

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3週間前
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え、三島由紀夫は「自分をゲイだとおもわせたがるヘテロ」だったの!??

昭和の有名な批評家、三島由紀夫の4歳下である村松剛の『三島由紀夫 その生涯と文学(第一部)』を読んで、ぼくは椅子から転げ落ちた。マジですか!?? 三島はほんとは…

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3週間前
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祖母なつは、公威くんを溺愛した、妄想のなかにかれを引き込みながら。

三島の祖母なつ(通称夏子)は情緒不安定で癇癪持ちの支配欲の強いの女だった。なつの部屋は一階で、公威くんはなつの部屋で育てられた。他方、父・梓と母の倭文重は二階に…

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3週間前
37

三島由紀夫への扉を開く。

わたしは凶ごとを待っている 吉報は凶報だった きょうも轢死人の額は黒く わが血はどす黒く凍結した……。 『凶ごと』部分。 (三島由紀夫『十五歳詩集』より) 誰だって人は自分自身のことが謎である。もちろん自然のことも、社会のことも、時代のことも同様だけれど。神話、宗教、哲学、科学、精神分析、脳科学、歴史学、社会学、そして文学の目的は、この謎に対して暫定的な答えを出すことにある。三島由紀夫もまた自分自身をはじめとした世界の謎にとらわれ、自分とは何者なのか、自分で考え抜き、社会

平岡家三代の蔵書。(三島由紀夫はどんな本を読んでいたか?)

どんな作家とて最初は読者からはじまり、作家になった後もたいていは生涯本を読み続けるもの。三島読者ならば、いったい三島がどんな本を読んだのか、関心を持たずにはいられない。三島の愛読書はラディゲ、コクトー、プルースト、はたまたオスカー・ワイルドが有名ながら、しかし、あくまでもそれは氷山の一角に過ぎません。そもそも三島は日本の古典もコドモの頃からしっかり読み込んでいて、はたまた文化全般についての途方もなく大量な読書が三島の精神の土台になっていることでしょう。なにしろ三島は神羅万象す

焼け跡とゲイ・バー。

「悠一は見分がひろまるにつれ、この世界の広大さに驚いた。」『禁色』 三島由紀夫は東京大学法学部を卒業し、大蔵省に9カ月勤めたものの辞めて、専業作家になる決意とともに『仮面の告白』(1949年)を書いた。あの作品で三島は痛々しいほどウブだった。 ところが三島が世界旅行を経験した後発表された『禁色』(1951~52)においては、すでに三島は手練れのゲイである。まるで三島はゲイになることを決意して、『仮面の告白』を追いかけ、追い越すように、自分の意志でゲイになったように見える。

戦争とロマンティシズム。

「わたしの十代は戦争にはじまり、戦争に終わった。」三島由紀夫 公威くんは1925年に生まれた。3歳が張作霖爆殺事件、6歳が満州事変の年である。(大日本帝国はソヴィエトの南下を怖れ、同時に中国を警戒し、国防的見地から、満洲を支配したかった。)1930年代の日本はサイレント映画の黄金偉大であり、歌舞伎はもちろん、軽演劇も寄席も大盛況です。公威くん8歳で日本は国連から脱退。11歳で2.26事件。陸軍の内紛ですね。(公威くんは文学に夢中で、事件になんの関心も持たなかった。)13歳で

三島由紀夫はこの世界に絶望し、人間一般を軽蔑し、呪っていた。『美しい星』

この作品は1962年に書かれたもので、地球を滅亡から救おうとする宇宙人一家の話です。家族がある夏、空飛ぶ円盤と交感し、自分たちがそれぞれ別の星から飛来した宇宙人であることを知ったときから物語は動きはじめます。父は火星人、母は木星人、息子は水星人、娘は金星人です。父はこの地球で宇宙同朋会を結成し、なんとかして地球を破滅から救うための平和運動を展開する。ところがそこである男は疑惑を持つ、実はかれらはほんとうは地球を破滅させるためにやって来た宇宙人なのではないか。さぁ、ここからこの

官能は五感をよろこばせるゆえ大事にする。しかし、われを忘れて陶酔するのだけはごめんだ。三島由紀夫の美学、『貴顕』(1957)

短編集『真夏の死』に収録されているこの作品のなかで三島由紀夫は、練磨された趣味をそなえた美術鑑賞家で猫を愛する美少年の短い生涯を、尊くかけがえのないものとして描き出しています。かれは少年時代から「陶酔的な生や外界の事物に対するある疎遠な感じを抱いていたらしくおもわれる。」ただし、だからと言って「熱狂から遠ざかって、冷笑や皮肉を投げかける気質の人だったというのではない。かれには生まれながらの、やさしい、穏やかな無関心があった。」かれは知的なものを怖れていた、知的陶酔を遠ざけたい

一番賢明なのは、事情がそれに値するときだけ狂人になることだ。

これはジャン・コクトーが著書『阿片』(1930)のなかで書いた言葉で、三島はこれをぼくの愛する短篇『ラディゲの死』(1953)の末尾に引用しています。 ラディゲがチフスで死んだ後、哀しみのなかにある二十代のコクトーに三島はこんなせりふを与えています。「ラディゲが生きているあいだというもの、ぼくたちは奇跡と一緒に住んでいた。ぼくは奇跡の不思議な作用で、世界と仲良しになった。世界の秩序がうまく運んでいるようにおもわれた。奇跡じたいにはひとつも気づかずに、薔薇が突然歌い出しても、

美しい嘘。貴族の末裔であると偽る三島由紀夫『花ざかりの森』

三島由紀夫が天才と称されるようになったきっかけは、一流の詩をものする(一見文学的天分に恵まれた良い子の詩集のように見えながらも、しかしほのかに変態的ファンタズムが見え隠れする)『十五歳詩集』と、そして戦時下17歳で上梓した、プルースト文体を駆使した典雅な小説『花ざかりの森』によってである。この小説は文体が雅であり、とうてい17歳の少年のもとはおもえない優れた達成であることは一目瞭然である。ただし、この小説にはいったいなにが書かれているかしらん? このことの考察抜きに、三島由紀

なぜたいていの妻は、結婚3年めで夫のことをバカボンのパパとおもうようになるのか?

結婚が(ざんねんながら)恋愛が少しづつ死に向かうことであることはほぼ避けがたい。コドモでもさずかれば育児という大仕事が降りかかるゆえ、さいわい恋愛どころの騒ぎではない。しかしながら、夫婦だけで暮らしていれば、たいてい結婚3年目に妻は夫を、「なんだよ、この男、バカボンのパパじゃないか」と気づき恋愛の死を実感するもの。 それでもこれを機にふたりのあいだに愛情というよりはむしろ友情が芽生えでもすれば、結婚生活は次のフェイズに入るもの。女だっておばさんになれる器量があった方が、たの

『サド侯爵夫人』は、三島の瑤子夫人への敗北宣言だ。~3人の女に操られ翻弄された三島由紀夫。祖母なつに、母・ |倭文重《しずえ》に、妻・瑤子に。

1958年、三島由紀夫は33歳で、13歳年下で20歳のお嬢さん・瑤子さんと見合い結婚した。なぜ三島はきわめてゲイ寄りのバイでありながら、結婚しただろう? 一般的に説明されるのは、この時期、母の倭文重さんが癌だったゆえ、彼女をよろこばせるために結婚した、と説明されます。倭文重さん自身もそのように理解しておられます。なお、彼女の癌は誤診だったことがわかるのですが。 しかしながらぼくはおもう、三島は家庭を持つことで世間体を保ちながら、他方でおもう存分ゲイ・ライフを楽しみたいという

三島由紀夫は恋愛を怖れている。

この人は天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの。(三島由紀夫『詩を書く少年』) 三島由紀夫の『鏡子の家』(1959)は不思議な小説だ。世に〈恋愛小説〉というジャンルがあるけれど、それに対してこの作品は〈恋愛しない小説〉なのだ。登場人物の誰もが自分の天分と追い求めるものにしたがって、童貞の絵描きは絵に、ボクサーはボクシングに、役者は演技に、やがて世界は滅亡すると信じている商社マンは経済動向分析に、ひたすら夢中だ。すなわち、誰もがみんな自分が情熱を賭けるジャンルにすべて

戦後三島由紀夫は精神の危機を迎えた。『金閣寺』『鏡子の家』

三島は大東亜戦争の渦中に育った。いつ死ぬかわからない恐怖とともにある日常のなか、灯火管制のなか詩を書き、ラディゲを読みふけり、美を追い求め、死ぬまえになんとか一冊の名作小説を残したいと願い原稿用紙に向かう少年。それが三島だった。三島は、大空襲で焼け落ちる東京に美を見る少年でもあった。三島はなぜか火事に興奮する男なのだ。そんな三島にとって、戦後日本はさぞやしらけた悪夢だったことでしょう(というふうに理解するように三島自身が要請する。)「進め一億、火の玉だ」「一億玉砕」と叫んだ日

小説家養成エリート教育をほどこされた三島由紀夫は、なぜ、観念の外へ出られなかったの?

まず最初に〈人を小説家に育てる教育なんてありえるの?〉という話から始めましょう。むかしもいまもさんざん口にされてきた疑問です。なるほど、いまでは大学にクリエイティヴライティング学科や文芸学科がある時代ながら、しかし、それでもこの本質的疑問を持つ人は少なくない。 ところが、あきらかに人を小説家に育てる教育はあって。それは山ほど小説を読ませて文体と〈型〉を学ばせ、死ぬほど実践を繰り返させること。徹底的にこれを繰り返せば、原理的には誰だって小説家になれる。もちろん詩人にだって脚本

三島由紀夫について書いてはいけない事実を書いてしまった男。福島次郎の哀しい純情。

三島がゲイ寄りのバイだったことは、誰もが知ることでしょう。ところが日本ではこれについて正面切って発言することはむかしもいまもタブーです。近年LGBRQの時代になったからといって、事情はたいして変わりません。 もっとも、〈その人の性的嗜好を知ることはその人を知るもっとも重要な鍵になる〉という考え方はいかにも俗っぽく、週刊誌の関心の持ち方ではある。なぜなら、性的嗜好は私的領域ゆえ、人それぞれ好きに楽しめばそれでいい、世間からとやかく言われる筋合のことではない。しかしながら、小説

え、三島由紀夫は「自分をゲイだとおもわせたがるヘテロ」だったの!??

昭和の有名な批評家、三島由紀夫の4歳下である村松剛の『三島由紀夫 その生涯と文学(第一部)』を読んで、ぼくは椅子から転げ落ちた。マジですか!?? 三島はほんとはゲイじゃなかったの??? ありえねーーー!!! 村松剛は三島由紀夫の同時代人で、発表されたばかりの『仮面の告白』に、三島の「贋金づくりへの期待」を見た。つまり、三島がかぶった同性愛の仮面を贋金と見なしたのだ。なお、かれはこの小説を「同性愛の部分以外は」全部事実としている。では、なぜ、三島はそんな嘘をつく? 村松剛は答

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祖母なつは、公威くんを溺愛した、妄想のなかにかれを引き込みながら。

三島の祖母なつ(通称夏子)は情緒不安定で癇癪持ちの支配欲の強いの女だった。なつの部屋は一階で、公威くんはなつの部屋で育てられた。他方、父・梓と母の倭文重は二階に暮し、なつが4時間おきにブザーを鳴らすたびに、息子に授乳になつのもとへ一階へ降り、授乳が終わるとまた二階へ上ってゆく。 なつは公威に女の子の服を着せたり、女友達だけをあてがったり、文学の英才教育をほどこし、歌舞伎に連れていったりした。こうして公威くんはひ弱な早熟天才文学少年に育ってゆく。 なつがとついだ夫・平岡定太