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高学歴社会の問題
現在の日本は、大学への進学率が過半数を超えています。これは、昭和の時代から比べると
高学歴社会
となっています。
そこで、今回は
高学歴社会の弊害
について、考えてみましょう。多くの人は
勉強をした方がよい
と考えているでしょう。しかし
勉強による弊害
について、向き合うというか、正面から議論している人は、少ないように思います。その理由は
議論の方法や文章での発信力は大学などで身につくものが多い
からです。さらに言えば
大学の先生たちの土俵で勝負
となれば
大学の悪口を言えばつぶされる
という恐れが多いのです。
しかしながら、現在の日本社会のトラブルの一つは
高学歴化しすぎた
ことが一因です。
そこで、この問題について、まじめに考えて議論することが大切だと思います。なお、誤解されては困りますが
学問的な知識や大学などで身に着ける知的スキルの有効性
は高く、実際に多くの問題を解決しています。しかしながら
学問的な方法論の限界
について、もう少し、学問社会だけでなく、大衆も含めて理解するべきではと思います。
一例をあげると、今回の新型コロナウイルスに関する報道でも
コンピュータシミュレーション結果
平均値や中央値などの統計的数値
等が、皆が知っているように出てきます。このような言葉は、いわゆる『高等教育』で学び、その使い方を身に着けるものです。
このような『高等教育』で学ぶ『言葉』は、とても便利です。それを使った、コミュニケーションは、とても効率的になります。その典型的な事例はMBA(経営学修士)達が
会社の業績評価
を伝える方法です。MBA取得者たちは、ROA(総資本利益率)、ROIC(投下資本利益率)などの数値で、会社の良さが議論できます。
さらに、このような数値で見ると、微妙な差もよくわかります。こうした備讃な違いが判ると、成長の様子も見えるようになります。これが、数値化のメリットです。一方、アメリカの起業家は、色々な投資家から資金を受け入れます。そこで評価するのは、MBA取得者たちです。彼らの言葉で、説明できないと相手にされないので、MBA取得者に依存するようになります。
こうした、利点はありますが、このような理論的検討から
外れたものがある
ということを、認識していない人が出てきます。例えば、金銭的な尺度だけで、給与を見ていると、それをもらった人の満足感などについての、配慮が欠ける場合があります。一例を挙げれば、人によっては
給与は自分の力を評価
と考える場合があります。その時には
給与の金額より相対的な値が重要
例えば
「同期のXX より10円高くて満足」
という事態もあります。確かに、MBAの教材には
動機づけのコース
があるので、この事例はそこで学ぶという反論があるでしょう。
しかしながら、この問題の本質は
学問的知識はある種の理想化の上で成立
ということです。これは、私たちが学ぶ西洋文明の特質です。西洋文明は、古代ギリシャの哲学、特にプラトンの影響を深く受けています。プラトンが『洞窟の比喩』で示した
人間の知恵は限られたものしか見えない
理想化したモノで考えることで本質に近づく
という発想は、現在の科学的思考にまで受け継がれています。例えば、物理学では『理想気体』で考えますし、社会学ではマックス・ヴェーバーの『理念型』も
現実を抽象化し理想化
したものです。
こうした
理想化したモノで厳密に考える
力は、色々な問題を解決してきました。しかし、そこから落ちているものがある。これを忘れてしまうと、現実の多様性・複雑性に足を救われるようになります。
昭和の時代なら、ここまで『高学歴化』が進んでいないので、大学卒業してから
現場の人が判るように説明
現場の多様性を学ぶ
機会が多くありました。
この機会がなくなって
地に足のつかない
空虚な理論の一人歩きが
高学歴社会の弊害
です。