「納得」のコスト
私達の日本文明には
大衆の納得での支配
という、西洋文明や中華文明と、大きな違いがあります。
ここで注意して欲しいのは
民主主義でも納得があるとは限らない
点です。確かに、中国などの強権政治なら
政府の言うことに問答無用で従う
のは、多くの人が認めるでしょう。しかしながら
西洋文明でも学識者に対し服従
を求めています。これは
高度の理論成果を信じる
という形で行われます。この場合には
専門家だけのコミュニケーション
ですので、効率的な議論ができます。
さて、日本の場合には
大衆的な納得を求めて
解りやすく表現
する必要があります。このように
難しいことを解りやすく
するためには、専門家にも多くの負担があります。これが、納得のコストになります。
但し、日本の場合には
専門的な概念を直感的に理解
という武器があります。これで、少しは納得を得ることが楽になります。例えば、新型コロナの感染対策として、飛沫の飛び具合を、テレビなどのマスメディアで公開して、マスク着用を勧め増した。こうした大衆の支持を得るために、直感的にわかる表現を工夫する、これが日本的な強みです。
しかしながら、このような直感的な説明は、詰めが甘くなり
空気の暴走
の可能性もあります。