仏の智慧の対応
大乗仏教の特徴として
私達も仏の智慧を持つことができる
と言う教えがあります。これを、他の教えと比較すると
小乗では声聞・縁覚にしかなれない
西洋文明は人の知恵は限られている
例えば洞窟の比喩
という風に
人の知恵は限られている
と言う諦めがあります。この状況に居直って、西洋文明では
物事を抽象化し理想化し
幾何学から物理学を展開し
機械文明を生む
成果を得ました。しかし、ここでは
原因と結果の関係が明確
の世界だけを考えます。そこで、社会学でもマックス・ヴェーバーは
(悪事だけを行う)
理想的な犯罪者で考える
という発想で、理念型を作りました。
これを理解すると、仏の智慧の凄さが、少し見えてくると思います。
まず、因果関係の話ですが、法華経にある
十如是の教え
があります。これは、いろいろな物事の真の姿は
外見・本性・潜在力・構造・作用・因・縁・果・報が全て総合的に作用する
という総合的な見方をしないと、わからないということです。これを、西田哲学では
因果論と目的論の自己矛盾
という風にも捉えています。さらに、ヴェーバーの「理想的犯罪者」に対しては
十界互具
の教えがあります。これは
私たちの心に
仏・菩薩・声聞・縁覚・天人・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄
のすべてを含み
さらに仏の部分にはまた「仏~地獄」の十の世界がある
という教えです。つまり
犯罪者の心にも「仏~地獄」
の側面を観る発想です。
このように、いろいろな側面から考えて、本質を知る力は
思議を超えた不可思議の境地
でしょう。
天台大師智顗は『摩訶止観』で、これを
一念三千
のの境地を観ると、説いています。つまり
私たちの認識・衆生の世間・国土環境の世間
を十如是で観るから三十
さらにその世間は十界互具で十×十
すべて掛け合わせて三千
です。
こうした
全てを観る力が仏の力
それが我々にもある
という教えが、大乗仏教の力です。
ここまで考えるの難しくても、私たちがいろいろな仕事で、体制表を考えるとき
機械的な割り当てでなく
個々人を想像して当てはめる
様にしているでしょう。これが、西洋文明的な割り切りと、ひと味違う対応になります。こうした
日本の力
を大切にしましょう。