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不可思議の境地を観る その1

 大乗仏教の瞑想法の一つ、天台の『摩訶止観』に

「不可思議の境を観る」

と言う修行法があります。これは、仏の智慧を自分のモノとする、修行です。

 さて、仏の智慧とは、皆さんはどのように考えているでしょう。これ自体が、私達の思議の力を超えています。しかしながら、お経には色々なヒントがあります。例えば、法華経の十如是の教えでは

「諸々の法の実際の姿は、外見、本性、構造、潜在力、外への働き、直接的な原因、間接的な縁、直接的な結果、間接的な報い、そしてその総てが一貫して働いている」

これを仏だけが観る世界と言っています。現在の科学的な目で見れば、複雑系のシステムの扱いという人もいるでしょう。しかしながら、西洋文明の科学的な思考法では

「細部を抽象化することで本質を見いだす」

手法を採用します。例えば、大衆の意向を投票数でみるという発想で

「個別のバラツキを無視」

しているのです。

 しかしながら、仏の智慧は、ここで大きく異なり、法華経が説く

「この三界は皆我が有なり、その中の衆生は皆これ我が子なり」

と言うように

「一人一人の個性を観ながら全体を観る」

力です。しかも多くの衆生を観ているのです。

 このように、仏は

「私達が身に付けた思考能力を超えた世界」

を観ています。

 しかし、これを

「仏だけの力」

と諦めてはいけません。大乗の教えは

「皆が自分に目覚め仏の力を発揮」

させます。

 このような目的のために、不思議の境地を見るのです。

 

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