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禅の境地について

私達の禅について持ってるイメージは、臨済宗や曹洞宗などの影響が大きいです。しかしながら、禅をもう少し広く見ると、天台大師が説いた「摩訶止観」には、もっと詳しくその境地が、説明されています。ここでは、その中で、坐禅の境地について、書いてみました。

まず、私達の境地を以下の三つに大別します。

  1. 欲界:肉体が存在している

  2. 色界:肉体を忘れる

  3. 無色界:全てを捨てる

最初の欲界は更に

  1. 麤住:普段の修行中に意識を集中させる

  2. 細住:より深い集中

  3. 欲界住:意念が安定し、深く細やかなることを覚え心が開ける

  4. 未到地定:身が空となる 

と言う四段階に分かれます。こうした、自分の身体を忘れる体験を、するとそれだけでで

悟った!

と言う誤解する人もいます。しかしこれはまだ入り口です。

次の色界には

  1. 初禅 肉体の諸欲・諸不善(すなわち欲界)を離れる
    覚・観・喜・楽・一心支が現れる

  2. 二禅 覚・観が止み、内清浄による喜・楽と共にある

  3. 三禅 喜を捨て、正念・正見(念・慧)を得ながら、楽と共にある

  4. 四禅 不苦不楽の捨、念、清浄の一心支

の四段階があります。ここでは、例えば

自分の身体を白骨と観る

のが欲界の未到地定ですが、そこから

不思議の光を観る

ことから、色界に入り初禅が始まります。

初禅の「覚・観・喜・楽」は、法華経の方便品で説いている

(仏智見を)開き、示し、悟らせ、(道に)入れる

に対応しています。そこから、得たモノに執着しないで、深めていくのが二禅から四禅です。

まずは、やっと観た段階から自由になり、心の「内にある浄さ」を喜び楽しむのが二禅です。
次に、この喜びをて、無常をじ、智で観る境地をしむのが三禅です。
更に、苦楽を捨て、清浄な心を念じていくと四禅になります。
但し、この段階では、まだ色身に捕らわれています。

次の無色界は以下の四段階があります。

  1. 虚空処 空を縁じて定を得、色を見ず

  2. 識処 空を捨て 識を縁じて定を生じる

  3. 不用処 無所有を縁じて無所有の法に入って相応する

  4. 非想非非想処 非想:識処を縁ぜず、非非想:不用処を縁ぜず

心の色から脱して、空を得る。その空を捨てる。そこでは、識によって観ている。多くの縁の絡みを観ている。更に、その識を捨て、無所有の処に入る。その識処と不用処の両方を否定した、非想非非想処に入ります。

しかしながら「非想非非想処」でも、本当の悟りではありません。このすべてを滅した先に、本当の悟りがあります。

全てを滅した時に、そこで

仏の力

を観る。こういうのが、悟りの世界かと思います。

こうした段階が解ると、禅宗の「悟り」という一言が、色々な面を含んでいると、見えてくるでしょう。





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