和魂洋才の考えで都市と村比較
今まで、都市への集中について、色々と議論してきました。しかしながら、都市と村について、和魂洋才の発想を使うと、もう少し見通しが良くなります。つまり
洋才で作られた都市
和魂の宿っている村
との違いです。
このように考えると、都市では
若い人が知識によって走る場合もある
が、村では
皆の合意や長老の経験の支配
が重くなります。
現在日本の行政は、洋才が動かす力が強くなっています。そこで考えた「平成の都市合併」でも
各地の独自状況を見ない
で、自治体機能の合理化という方針で進みました。
これを考えると
アフリカの地図の国境線が直線
旧宗主国の頭上での分割
地形や民族を見ていない
を、批判できないですね。
しかし、地域の祭りなどの
洋才で議論できない和魂
について、活かし方を考えるべきだと思います。
なお、多様性の許容という観点で考えると
魂は唯一
才は異論を許す
と言う面もあります。古くは、和魂の古事記には、一本道の神話の流れしかありません。一方、漢才の日本書紀には、一書に曰くと言う表現で、他の説も書いてあります。
和魂で動く村社会にも、こうした
異論への不寛容
と言う側面があります。