図の上で考える危険性
私は、このnoteの他に、ココログでもブログを書いています。そこでの人気記事の一つは
図と絵の違い: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)
です。
この記事では
図と絵には大きな違いがある。図というものは、ある約束事で、描くもので本質的に抽象的なものである。一方、絵には、現実を写しているもので、読む人間の想像を引き出す。従って、図の場合の解釈は、あるルールに従うので、一意的に決まる。しかし、絵の場合には、読む人により解釈が異なる可能性がある。この場合、「何が正しい」と言い切るのは難しい。しかし、これから新しいことを創造する可能性がある。
という主張で
ルールで描く抽象的な図
対
気持ちで描く具体性のある絵
と言う比較を行っています。この記事を書いた動機は
伏見稲荷の絵図
を見たことです。その図は大正時代に描かれたので、背景には東海道線の汽車が走っていました。
これと比べて、現在の地図は
道や地形は正確に書いているが
それしかない
という感じです。確かに、現在の地図にたよって歩くと、間違いは少ないでしょう。しかし、山道の途中で見る風景などは、地図には表せません。
このような地図と絵を、このnoteで使う、仏教の言葉で考えると
因果関係だけを見る図
因縁果報まで含む絵
がしっくりきます。明確な因果関係だけで議論する、西洋文明では図が力を持ちます。しかし、人間が絡むとき、明確な因果以外に、広く広がった縁と、そこから頂く報いもあるのです。この含みを引き出すのが絵ではないかと思います。
もう一つだけ
図で考える危険性
の一例として、アフリカの国境を挙げておきます。アフリカの国境の一部は、緯度経度に従った直線になっています。これは
植民地支配した国が地図の上で分割
したからです。地形や民族の問題を無視し、勝手に決めた国境が、現在の紛争の原因になっています。こうした危険性を、もう一度考える必要があります。
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