「見る」から「観る」へ
「見る」と「観る」の違いは
見る:外見をみる
観る:心にそのモノを描く
と考えると、見通しが良くなります。
現在の私たちは、豊かなメディアに包まれているので
外部から与えられる情報への依存
が強くなっています。例えば、テレビから流れてくる
ニュース
で、その場の情景が伝わります。そこでは
想像力がなくとも分かった気分
となります。しかし、これがテレビが普及していない時代なら
新聞の記事
ラジオの放送
から、その情景を想像する必要がありました。地震や台風の被害でも
現在は倒れた家屋などを見て被害を思う
戦前昭和では新聞やラジオの報道から想像
という感じです。
しかし、本当にモノを知るためには
モノを色々と動かす
多面的に見る
などの作業が必要です。私は、阪神の地震の後、被災が少ない地区を歩きましたが、そこでも「ガス漏れの臭い」を嗅ぎました。さらに、被害がなさそうな家にも、ひびが入っている場合もありました。
こうした細部の情報まで、気を配るためには、実際にいかなくても
心の中にそのモデル
ができていれば、そこから感じ取れます。一見して得た情報、今までの経験などをつなぎ合わせて
心に描く
作業が「観る」ではないかと思います。西田幾多郎は
行為的直観
といいましたが
心に絵を制作する行為で直観
と考えれば、納得します。