循環論法を使う
私達は、論理的思考と言うことで
原因->結果
の流れが明確
な議論を行うような 躾けがされています。
このため
コーランは正しい、なぜなら神が決めたモノだから
神が決めたと言うことは、コーランに書いてある
等の循環論法は
論理的に正しくない
と評価して、拒絶する人もいます。
しかしながら、今の日本社会を考えると
憲法は最高法規で守らないといけない
最高法規の根拠は憲法第十章最高法規による
と言う形で、根本に循環論法があります。
さて、このような循環論法は、本当に排斥すべきでしょうか?
私は
現実性などの根拠があれば
循環論法は認めるべき
と言う考えです。例えば
ドルが基軸通貨である
なぜなら
多くの国がドルを使う(受け入れる)から
多くの国がドルを受け入れるのは基軸通貨だから
も循環論法です。しかしながら、現実に多くの国がドルを使うという
現実を見る
とこの議論は納得できるでしょう。
もっと言えば
システム的に見れば
循環論法はある
それを無理に切るべきではない
と言う発想もあります。例えば
卵が先か?鶏が先か?
議論です。これは、本来は循環しているのを
無理に
原因->結果
に分けた
結果として生まれた議論です。
そこで
循環論法を認め
それに根拠となる実例や
上位の理論を見いだす
発想で、理論を網のようにしていけば
地に足のついた議論
ができると思います。