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実生活の感覚 小林秀雄と山本七平
新潮文庫の、山本七平著「小林秀雄の流儀」
は、一見難しいが、よく読むと山本七平の考え方というか、思考方法がよくわかる本です。
私の考える、一番大事な発想は
言葉・思想 と 実感・実生活
の関係です。最後の流儀の章などで、小林秀雄の言葉として
「あらゆる思想は実生活から生まれる。併し生まれて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったらならば、凡そ思想というものに何んの力があるか。」
「実生活を離れて思想はない。併し、実生活に犠牲を要求しない様な思想は、動物の頭に宿ってゐるだけである。社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲に外ならぬ。その現実性の濃淡は、払った犠牲の深浅に比例する。」
を引用しています。
つまり
抽象的な世界での思想
と
実生活
の分離です。
さらに、小林秀雄の批評は
ドストエフスキーやトルストイ
と
本居宣長
では、全く違った方法で迫っていると説明します。つまり
ロシアの実生活は共感できない
従って
思想を言葉の力で見る
しかないのですが
本居宣長は上代人になりその目で見ようとする
ので
小林秀雄は宣長になり宣長の目で見ようとする
方法で読み解きます。つまり
日本の文化は我々の実生活に溶け込んでいる
ので理解できるという発想です。
この裏には
「実感」なき言葉を輸入し
「舶来上等」とそれを物神化する
ことの危険性
の認識があります。これは、小林秀雄にとっては、「自然主義」などの文学論の問題でした。一方、山本七平など昭和の戦後を生き抜いた人間には
マルクス主義
公害問題の追及
等の「空虚な言葉」の暴走と、それの信者の追求から、身を守る必要がありました。
なお、このような「流儀」に於いては
狂信的にならない
安全策が必要です。これに対して、「小林秀雄の生活」の章では
一身両頭にならず
二生を生きる
ために
私立
が重要です。小林秀雄は
戦前・戦中から
「ヒットラーを気持ち悪い」
と言い戦後も同じ評価
でした。なお、戦前や戦中の日本の大衆や、政治家の多くは
ハイルヒットラー
(つまり礼賛)
でした。