日本の出版環境は贅沢
教科書の読み方について考えると
現在の日本は贅沢
と感じました。例えば、物理学の教科書でも、ファインマンの物理学が出版されているし
その解説書も出ています。
一方、これに対抗して、旧ソ連の代表的な教科書も手に入ります。
これらの古典的な教科書が、日本語で読める、これはとても贅沢なことです。
さて、もう少し「ファインマン物理学」と「ランダウ・リフシッツ物理学」を読み比べると
ファインマンの大衆への啓蒙
対
ランダウのエリート教育
の違いが見えてきます。ファインマンの本には、親切な図解もあり、豊富な周辺知識の記述もあります。例えば、光学の項目では、色覚の話もあります。こうして
大学初年級でも楽しめる学問
を目指しています。
一方、ランダウの教科書には
簡潔に体系化した理論の提示
と言う美しさがありますが
数学的な基礎がないと理解不能
であり
理解できない者は無視
と言う、突き放した姿勢を感じます。
こうした違いについて、ソ連の社会状況から考えると
選ばれた者しか教育できない
ついて行けない者は捨てる
と言う発想が見えてきます。これは、国を支える産業が未成熟なのに、大国としてアメリカに対抗した、ソ連の立場での
小数の有能な人材に集中投資
から出ています。
私たちは、こうした
選別により機会も失う
ことがなく、わかりやすく教えてくれる
豊富な書物環境
に暮らしているのです。この「有り難さ」を、しっかり味わうべきだと思います。