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ディジタル発想と正解主義
何回か書いた
医療における「分業体制」
における
ディジタル化
から、もう一つの副作用が見えてきました。それは
正解の必要性
です。確かに
臨床心理士・血液検査技師などの
スタッフの診断に依存して治療が決まる
なら
間違った検査結果は困る
から
正解でないと困る
と言う発想はあります。
さて、この発想は、もう少し一般化できそうです。つまり
分業が行われる場合には
特定の識別範囲に有ると言い切る
そこでは
正解でないといけない
と言うことです。
このように考えると、日本の物作りも
設計と製作の分離
が行われました。
但し、戦後の昭和の時代には、まだ設計の技術力が確定せずに
現場での手直し
ソフトのデバッグ
が行われることも多くありました。そこでは
建前:設計が正解
本音:設計の足らざるを皆で直す
と言う、思いやりがありました。
しかしながら、昭和の末期から平成には
技術の進歩と経営の余裕不足で
厳しく正解を求める
風潮が出てきました。これを、物作りの原点に返って見直すと
公差の範囲にバラツキを押さえ込む
と言う発想とも一致します。
このように考えると
ディジタル発想と正解主義
は密接に絡み合っています。
現在社会は
ディジタル発想優位
ですが
アナログ的な修正・適応
も考える必要があると思います。