仏教の「空」の教え
昨日の記事
ソクラテスが仏教を信じたら|鈴木良実 (note.com)
にコメント頂いたので、今回は
私の考える「空」
について書きます。
<工楽ノ佑氏コメント>
ソクラテスと大乗仏教という事を考えると、まず気になったのが『空』とソクラテスについてでした。龍樹とソクラテスと言ってもよいかもしれません。
ソクラテスが『空』と出会ったら一体どういう反応をするのか。そして、『空』たる仏の存在(?)を想定した時に、一体ソクラテスは一体何を思うのか、気になります。
そもそも、ソクラテスの論理的思考を極めていけば、自ずから『空』に行き着かざるを得ない気もします。 <コメント終>
私が「空」について考えた、一つのきっかけは、以下の問答です。
Q:「君が生まれる前は何か?」
A:「空」
Q:「死んだ後はどうなる?」
A:「私を知っている人に、影響が残るが、いずれは忘れられる」
ここで、はじめの「空」に関して、もう少し説明が必要になりました。つまり
空は無ではない
多くの影響するモノがあり、
その集まりが私になっている
状態が前提です。
もう少し言うと
因縁果報の絡み合いが空
特定の「実体」はない
と主張しています。
なお、ここでは
直接的な因果関係
間接的な縁と報いの関係
が両方絡むと考えています。因果関係は現在の科学でも
原因結果
と言う形で良く出ています。しかし、縁と報いの関係は、科学的発想では、無視されることが多いようです。強いて言えば
私達を取り巻く
システムから受ける報い
システムと繋がる縁
という感じです。因果ほど明確ではなく、しかも相互作用があるのが縁と報いです。山本七平の言う
「空気」の影響
もこれに入るでしょう。
さて、ここで最初のコメントに戻って
ソクラテスと「空」
について考えます。私の考えは、両者は相容れないと思います。なぜなら、プラトンの大著「国家」では
「正義」のイデア
つまり仮想的実体
について議論しています。こうした
実体の否定が「空」の教え
であり、さらに言えば
プラトンの理想化は因果に集中
しています。これは、後々の西洋文明を生み出した
簡潔化により本質追究
につながります。ニュートン力学は
まずは地球と太陽の2項関係で議論
しました。そこには
縁や報を無視
していました。逆に言えば、太陽系全部を同時に考えたら、複雑すぎて、力学大系を作ることは無理でした。
このように考えると、仏教の「空」は、ソクラテスには理解不能ではないかと思います。
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